言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

理系コンストラクション【第3号 不屈の座屈①】

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1.非効率の誰かさん

 

 

 効率なんて、大嫌い。

 

 例えば、早く家へ帰りたくて時間を短縮して掃除したとしても、友達からの不毛な会話で帰れなくなった時。夜遅くまで脇目もふらず課題を真面目に仕上げても、不真面目なクラスメートにノートの中身を見せなきゃいけない時。時間をうまく使って練り上げた私のやり方とか努力は、一瞬で不意になる。初雪がアスファルトの上で音もなく溶けるように。それは誰にも気づかれることもない。他人がいとも簡単に踏みにじって、あたしの先を悠々と歩いていく。

 

「まちはなんでもかんでも、要領がいいよね。まちのお陰で、私は今日も早く帰れるし、明日の課題の心配もしないで、ネットフリックス三昧できるよー」

 

 同じ研究室の同級生が、肩にバッグをぶら下げながら、スマホを片手にひらひらと手を振って部屋を出ていく。そんな言葉、高校、いや、中学の頃から言われ続けている。どうやらあたしの要領の良さは、他人が有効な時間を使うために与えられた力らしい。自分へのバフ効果は何もない。

 

 いつしか「あなたの頑張りは一体、なんなの?」と疑問の声を高らかに放つあたしが、耳にぶら下がるようになった。その声はいつもカチャカチャと耳障りな不協和音を唱え、あたしの時間の使い方をせせら笑ってくる。

 

 大学に入ってから始めたアルバイトも、まったく一緒だった。

 

「桐裕(きりゆう)さんはホント、覚えが早くて筋がいいよね。接客も品があるし、店の雰囲気もなんだか心地よくなった気がするよ」

 

 眼鏡をかけた冴えない店長がニコニコ顔で渡してくるものは、いつも労いの言葉だけ。真面目にコツコツ継続して、四年目。いつの間にかバイトのランクも、上から二番目の偉さになっていた。にもかかわらず、単価の大きなお客様を集客しようが、形の良いドーナツをたくさん売ろうが、とびきりの笑顔を振りまいて店の印象を良くしようが、あたしの時給は他の同じランクの人と一円たりとも変わらない。そこは似非(えせ)資本主義の日本。うまくできている。人の頑張りというものを、本当に舐めている。そんなふうに思う時はいつだって、

 

「だって、しょうがないじゃない。あなたは才能もないし、努力もしていない、ただの一般人なんだもの」

 

 もう一人の自分が、ねっとりと耳に絡みつくような声で囁いてくる。両手で愉快な音頭を取って、この世界に生きているあたしをあざ笑い、くるくると輪を描くように踊っている。

 

 まだ柔らかい生地のドーナツを指で折り曲げ、端と端をくっつける。しっとりとした空気が指に纏わりつく。指が乾く前に次のドーナツを折り曲げていく。その繰り返し。

 

 ドーナツは真ん中に穴が空いている。これは空白なのか、それとも、意味のあるものなのか。店へやってくるお客さんは、当然、このドーナツを温かい気持ちで口に運ぶのだろう。真ん中を通り抜ける空気はきっと、安らかな吐息に溢れ、甘い味が喉を通り抜ける。

 

 そう考えると、この穴の意味は、意味があるべく存在している。それに比べて、あたしの心はどうだろう。あたしのねじ曲がった心には、冷たい隙間風しか吹き抜けない。

 

 このドーナツ屋でバイトを始めた理由は、大学の勉強が最高につまらなくなったからだ。あたしの心は、何に対しても興味を持つことがなくなった。

 

 

 夕方六時。帰宅ラッシュの真っ只中。店が最も混む時間。

 

「いつもありがとうございますぅ~」

 

 あたしは頬が引きつるくらいに満面の笑みを浮かべ、自分でもびっくりするくらいの猫なで声を弄ぶ。まるでコピー人形のよう。何度も何度も同じ言葉を放つから、あたしの声ではないのかもしれない。

 

 ホンモノのあたしは、心の中で盛大に舌打ちをしながら、揚げたてのドーナツを箱に詰めている。箱の中は、お腹を壊す成分が満載だと思う。毎日まいにち、恨みつらみを心から垂れ流しにして、安っぽいトングを壊れるほどに握り締め、ニセモノの笑顔をスパイスのように振りまいているのだから。

 

 夕方の帰宅ラッシュがようやく落ち着く。胃の中に溜まった嫌な空気を喚起するように、深呼吸をする。店の壁に掛けられたカレンダーが目に入った。今日は金曜日。あたしは思い出したように、店の隅っこへとチラリと視線を向ける。

 

 ――いる。今日もいる。

 

 今年に入ってから、毎週金曜日、とある人物がこの店へやってくるようになった。いつも一番端の席で、四月から新たに発売されたトンデ・ショコラとカフェオレをたしなみながら、文庫本を読みふける一人の女性。同じ大学の同級生。

 

 そもそもあたしは、同じ大学の人間を見たくないから、地下鉄で三十分もかかる隣の区にまでやってきて、バイトを探したと言うのに。よりにもよって、一番会いたくない人物が、ここへ通うことになろうとは。

 

 結構な頻度でこの店に来るものだから、あたしは彼女の細かいクセのようなものを、知るようになった。まず、カフェオレには砂糖を結構入れる。テーブルに置かれているシュガーポットの減りが、彼女がやってくると早い気がする。七割くらいでブラックコーヒーを頼むくせに、ミルクが入っていると甘みを欲するのだろうか。それとも、甘みを求めるからミルクを欲するのだろうか。どちらにしても、どれだけ甘党なんだ。

 

 トンデ・ショコラは餅みたいな丸い粒が数珠繋ぎとなっている形で、モチモチした食感が売りだ。それを一つずつ千切って食べる。スタンダードな食べ方だ。でも彼女は、半分をそのままかぶりつき、半分を千切って口に放り込む。そんな不思議な食べ方をしている。一体、何の違いが? と私はいつも疑問を飲み込んでいる。

 

 幸い、彼女はあたしの顔を覚えていない。と勝手に思っている。何しろ、大学では一度も話をしたことないし。いや、それが逆に、あたしの苛立ちに塩を振る要因になっているのかもしれない。

 

 彼女が注文したであろうレシートが、レジの横に目立つようにぶら下がっている。

 

「桐裕さん、お願い」

 

 一緒に入っているバイトの人が奥のキッチンから声を上げる。帰宅ラッシュで積み上がったお皿やカップなどの洗い物に追われているようだ。あたしはレシートを指で乱暴に掴み取り、いつもと同じメニューであることを確認する。再び、店の隅っこへ視線を向ける。

 

 肩まで伸びた黒髪。軽くウェーブがかかっている。ここに来るようになってから随分と髪が伸びた。今日は珍しく眼鏡をかけていて、服装がクリーム色の真新しいブラウスに、糊が利いた紺色のスカート。やけにフォーマルだ。学会発表か何かがあったのだろうか。

 

 ――琴葉音絵(ことはおとえ)。

 

 あたしは本物の舌打ちをしながら、今日もカフェオレを作る。

 

 

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