言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

理系コンストラクション【第2号 非破壊レーザーに死角なし⑦】

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2.非破壊レーザーに死角なし⑦

 

 液晶画面に表示された波形は、赤や黄、青の色彩がくっきりと映えていて、うっとりするほどに綺麗だった。

 キリリリ、と河原の方から不思議な鳴き声が聞こえた。なんて鳥だろう。頭にそんな考えがよぎったけど、私は新しいレーダー探査機に目を奪われていた。

 前まで研究室で持っていた古い機械はモノクロだったから、ついに新しい時代へ、足を一歩踏み入れたようだ。

「すご。科学の進歩って、素晴らしい。ICT革命だよ」私は思わず、感嘆の声を上げた。「ほら、男ども。見てみな」

 短チャープ式レーダー探査機は、反射してくるレーザーの周波数の違いによって,土の材料や空洞があるかどうかを判断する。

「深いところ、途中で、波形が違ってますね。なんですか、これ? こんな下に空洞があるってことですか?」

「泥炭(でいたん)だよ」

「デイタン?」

 私は背負ったリュックの中から、印刷してきた岩川旧堤防の図面を取り出した。元の図面は相当古い時代のもので、手書きでいろいろと文字が描かれていた。まるで古文書のようだった。

「ほら、ぴったりだ」

 図面に描かれた土質構成と、探査機に描かれた波形の深さが、ぴったり一致した。

堤防内の構造が、手に取るようにわかる。検出能力が遥かに向上している。

「へぇ、すごい」

 と、いつの間にか隣に肩を寄せていた音絵が呟く。

 北海道の堤防は、泥炭と言う柔らかない土の上に堤防を作ることが多い。泥炭とは寒い地方特有の土で、冬に枯れた草木が腐らないまま、一万年以上堆積した土の慣れの果てだ。水分が多く、沈みやすい。当然、その上に堤防を作ると、土の重みで沈んでいく。このため、堤防は常に新しい土を盛っては沈み、また盛ってを繰り返しながら今の形を維持する。

「ん?」

 時代の流れによって、堤防は様々な土が混ざり合い、非常に複雑な構造となる。だからこそ、違和感を見つけるのは難しい。けれど私はなんとなく、探査機が示す波形に違和感を覚えた。

「どうしたの?」

 音絵が顔を近づける。

「いや。気のせいかなぁ。ちょっとだけ、波形が……」線が微かに乱れたようなところを指差す。「うーん。なんかよくわからないな。なんだろう、これ」

「あ」

 音絵が何かに気付いたように、声を上げた。その小さな顎に指を添えて、何やら考え込んでいる。長い黒髪が風にからかわれるように舞い、頬をくすぐっている。

「……これ、水みち」

「え?」

「空洞じゃない? これ」

 このアルゴリズムは、他の地層のコンター図と違う。とかなんとか、ぶつぶつと言いながら、音絵は周囲を見渡す。

「根の場合は、双曲線反応の他に、強い乱れが生まれる。深くまで反応。対して、空洞は白色で、局所的」

 彼女は軽やかな小鹿のように身を翻し、オオイタドリが繁茂している堤防の斜面を下っていく。

「あ、ちょっと」

 あとを追うようにして、堤防の肩まで駆け寄る。音絵は既に斜面の麓でしゃがみ込み、オオイタドリの根本をごそごそとかけ分けている。

「……あった」音絵の動きが止まる。「パイピングのあと」

「パイピング? って、もしかして……」

 高橋が怪訝そうな顔をしている。

「噴砂のあと。砂に水が流れた痕跡のことだね。要は、水みちだ」

「水みちがあると、堤防、やばいんですか?」

「さっき。車の中でも話したでしょう? 浸透破壊だよ」

 高橋の質問に答えながら、私も堤防の斜面を下り、音絵の元へ近づく。少しだけ泥にまみれた彼女の指の先を見ると、なるほど、確かにクレーターのような穴がぽっかりと空いていた。

「この波形じゃ、僕でも見落とすよ」東畑助教の呻くような声が聞こえる。「噂には聞いていたけど、琴葉さん。やっぱり、すごいんだね」

「先に気づいたのは、葵です」音絵が凛とした声で呟く。「……ちょっと、掘ってみる」

「え? 勝手に? 大学の持ち物とは言え、仮にも堤防だよ」と私が声を上げると、

「許可は、取ってある」

 音絵がにこりと笑い、背中のリュックからクリアファイルに挟まった一枚の紙を取り出した。

 仁先生のサインだ。

 探査の結果、堤防に異物が認められた場合、研究の一環として、堤防の一部を掘削することを許可する。

「用意周到、ってわけか」

 素直に感心する。この子はいつも、常に先を見て物事を考えている。

「すぐに、成果。出せるでしょう?」

 悪戯っぽい微笑みが、彼女の口元からこぼれ落ちる。その笑顔は私が放つサーブよりも破壊的だった。

 これだよ、これ。こういう素をもっと、通常運転で出しやがれ。すぐに彼氏もできるぞ、このかたい女!

 という心の叫びを胸に押し込めながら、私は堤防の上に突っ立っている高橋と溝内を見上げる。

「男ども。ここ掘れ、ワンワン」

 二人は目を丸くして不満な声を上げている。やがて車から取り出したスコップを片手に、渋々と堤防の下まで降りてきた。

「ちなみに、本物の堤防を決壊させて、建物や電車を浸水させたりしたら、あんたたち、死刑だからね」

「ええ? こ、これは大丈夫っすよね?」

 溝内がスコップの先を地面に押し込みながら、不安そうな表情で私を見るのがおかしくて、つい笑ってしまった。釣られて、音絵も声も出さずに笑っていた。

 スコップでパイピングのあとを掘り進めていくと、図面には無い砂の層が混じっていた。音絵の予想した通りだった。

 砂は水を通しやすい。水が流れてくると、水と一緒に砂も流れていく。こうして水の通り道が形成され、それが堤防の弱部となり、決壊の引き金となる。

「越水なき破堤って言ってね。昔、小貝川っていう本州の川で、そういうことが起きた。土の中は簡単に見ることができない」砂の層をカメラにおさめながら、私は説明した。「だからこそ、こういう技術を活用して、堤防の弱いところを見つけなきゃいけないんだよ。勉強になっただろ?」

 汗を流しながらスコップに力を込める二人は、「はいぃぃ、そうですね」と適当な返事をしている。

 本当のところ、今の言葉は、自分自身に言い聞かせた言葉だ。

 堤防は、よくわからない。今だって、音絵の分析力と行動力が無ければ、この水みちに気づかなかったかもしれない。

 私だって常に、一歩先を考えたいと思っている。それには経験や情報が必要だ。テニスだって、相手のラケットの向き、呼吸、足の角度、ボールの打ち方。その情報を分析して、先を読む。

 土木工学も、経験工学だ。今までに自分が得た経験や目の前にある情報を最大限に活用して、先を読む。

 そうやって、知りたいと思うことを経験に変えていくのだ。わからないことをわかろうとすることは、人間の本質であり、誰にでも与えられる権利だと思う。

「平成二十五年。河川法が改正されて、維持と修繕が義務化。河川管理施設又は許可工作物の管理者は、河川管理施設又は許可工作物を良好な状態に保つよう維持し、修繕し、もって公共の安全が保持されるように努めなければならない」

 音絵が突然、流暢な言葉で何かを語り出した。

 なんとなく覚えている。おそらく河川法の一文だ。すらすらと暗唱できる人を初めて見たけれど、音絵なら河川法の全てを暗記していても不思議ではない。

 高橋と溝内が土を掘る手を止め、口を開けながらポカンとしている。何言ってるの、この人。という心の叫びが私の耳には聞こえた。

「……要するに」私は苦笑いを噛み締めながら、音絵をフォローする。「草刈り。重要だってこと」

「なるほど……」

 学生二人は私と同じ苦い表情をしながら、声を揃えて頷いた。

 音絵へ放つ私のスライスサーブは外れたことがないけれど、音絵が放ってくるそれは、何者も返すことができないような気がした。

 

 

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音絵が暗唱したのは、これです。

https://www.pref.nagano.lg.jp/kasen/infra/kasen/kanri/documents/kyokakousakubutu.pdf

 

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