言葉の煙霞

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理系コンストラクション【第2号 非破壊レーザーに死角なし④】

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2.非破壊レーザーに死角なし④

 

 

 背伸びしながら息を吸い込むと、朝涼(あさすず)の残り香が頬を撫でていった。

 午前八時。太陽の日差しが円環を伴って降り注ぐ。よく晴れた朝だった。足元には桜の花びらが、遅くやってきた春の終わりを知らせるように散らばっていた。北海道までたどり着くのはいつも遅いくせに、忙しない足跡だなと思った。

 工学部前の駐車場へ停められたミニバンから、グレー色の作業着に身を包んだ男の人が降りてきて、こちらへやってくる。東畑(ひがしはた)助教(じょきょう)だ。

「おはようございます」

「おはよー」

 車のキーをくるくると弄びながら、彼はぺこりと頭を下げ、私の挨拶に応える。切り揃えられた短髪に、男の人にしては、珍しい小顔。笑顔が可愛らしいと学生たちには評判で、私も結構、話しやすくて良い人だと感じている。今日の作業の引率と車の運転をお願いしていた。

「非破壊レーザーの探査機は?」

「今、学部生たちが運んできます」

 そう答えながら振り向くと、ちょうど研究室の男子学生二人が前かがみになりながら、玄関を出てきた。その腕は大きなスチール製の箱が載せられた台車を押していた。

 私は胸の奥でにやりと微笑む。

 新型の短チャープ式レーダー探査。

 簡単に言うと、道路の上からレーザーを照射して、その電磁波が何か異物を検知すると反射し、土の中の様子を可視化してくれるシステムだ。私たちの大学と、とある測量会社で共同開発している。

「それ、たっかいからね。壊すなよー」

 自動ドアの溝を慎重に飛び越えながら、ガタガタと台車を鳴らす学生たちへ声をかける。

「葵(あおい)先輩には、言われたくないっす」

 後輩の一人が笑い返した。

「うっさいよ」

「よし、僕も手伝うよ」

 東畑助教が車のキーをポケットへ突っ込み、台車の側面へ回り、手を貸した。三人はそのまま玄関前のスロープを慎重に降りていき、車の停めてある駐車場へ向かう。

 車のトランクへ積み込む様子を眺めながら、私は今日の予定をチェックする。昨日、スケジュール表をパソコンで作り、印刷していた。

 行き先は、豊曲(とよくま)川の中流にある岩川(いわかわ)旧堤防と呼ばれる堤防の実験場だ。元々は明治時代、霞堤(かすみてい)と呼ばれる目的で作られた場所だった。その後の昭和時代、豊曲川は大規模に堤防が整備されたため、今はもう使われなくなり、過去の遺産となっていた。それを、私たちの大学が買い取り、堤防の実験施設として利用し、管理している。

「羽衣に、行くの?」

 先週会った時、音絵がそう言っていた。彼女は霞堤のことを、羽衣と呼ぶ。

 霞堤。別名、羽衣堤。

 古い治水工学の本にしか載っていないような名称を、真顔で発するあたり、あの子の脳内はどんなネットワークが構築されているんだろうなと、たまに恨めしく思う。が、もう慣れた。

 雨が多く、地形が急峻な日本では、治水が非常に重要である。その役割の最前線で活躍する構造物が、河川の堤防だ。一口に堤防と言っても、いろんな役割を担うものがあるけど、霞堤はその一端を補助するようなものだ。

 音絵が霞堤のことを羽衣と呼ぶ理由は、前に聞いたことがある。

「だって、川から零れた水を、受け止めるから。まるで、天から手を差し伸べる、天女様みたい」

 と音絵が呟き、空を仰ぐ横顔を見た時は、なんだか美しい童話に憧れる子供のように思えた。工学のウンチク以外にも、そんな少女チックな浮世草子(うきよぞうし)を語れるとは! その時の私は、音絵の横でお腹を抱えて笑っていた。

 私も私で笑いながら、確かに間違ってはいないよなと、妙に納得したのを覚えている。霞堤の役割は、洪水の時に溢れた水を受け止め、洪水の被害を小さくする構造物だからだ。

 昔のことを思い出しながら、一人でニヤついていると、桜並木をくぐり抜けるように歩いてくる音絵の姿があった。

 構造力学研究室と袖に印字された、薄いグレーの作業着に身を包んでいる。桃色に染まった道を歩くには全くもって似つかわしくない姿だった。でも、私にとっては、春の日差しの中、やけに映えて見えた。

 

 

 

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