言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

はりねずみと君に

f:id:hinata_manabe:20200719111005j:plain

 

2,000文字の短編です。
家事・育児の合間に書いたものです。

詞先小説という、私が勝手に作ったジャンルの物語です。
数年前に作った詩の世界を小説にしてみました。


『「この世界には、痛みが感じない世界もある」
この話は、そのことに出会った、ある夏の思い出だ。』

 

 

 はりねずみと君に

 


「はりねずみを食べたことがある」

 

 衣香(きぬか)と仲良くなりたくて、僕は鼻をこすりながら、そんな嘘をついたことがあった。

 彼女はクラスで一番頭が良くて、とびきり可愛い女の子だった。

 

 中学二年生。夏が始まる前だったと思う。
 青春という言葉が絵の具を持って、僕が今まで歩いてきた透明な道を赤や青、緑などの色へ塗りつぶし始めていた時期だった。

 

「え、お前、嘘だろ」
「どうやって食べたんだよ」

 

 クラスメートのみんなが、疑問に色がついたたくさんの言葉をぶつけてきたが、僕は嘘を貫き通した。

 

 一週間が経つ頃には、クラスの全員が僕のついた嘘を信じていた。

 

 どうやって説得したのか、よく覚えていない。

 

 僕は『はりねずみ』というあだ名をつけられ、「アイツに近づくとトゲが刺さる」と恐れられた。

 

 気付けば、僕の周りには友達が寄り付かなくなった。
 僕一人だけ、教室にぽっかりと開いた小さな穴の中にでも住んでいるような、そんな気分になった。

 

 ただ、一人を除いて。

 


 その一人が衣香だった。
 彼女は僕の嘘を全然信じなかった。それまで僕に声をかけることすらなかったのに、彼女は僕のそばへ近づくようになった。

 

「本当に、食べたの?」
 衣香はからかうような瞳で僕を見つめ、僕の細い腕をつついたり、僕の短い髪を撫でたりしながら、笑っていた。
 穴へ潜るはりねずみに、エサを与えるように。

 

「食べたって」
 僕は主張する。

 

「嘘でしょう。だって、はりねずみの針は、体の毛が一本一本固まったものだって、お祖母ちゃんが言ってたよ。食べられるわけないじゃん」

 

 食べた。
 食べてない。

 

 そんな論争を、穴の外と中から繰り返しているうちに、僕と衣香は仲良くなっていた。

 

 

 ある日、学校へ行くと、衣香が下駄箱の前で涙目になりながら、クラスメートの高義(たかよし)の前に立っていた。

 

 その異様な空気に、どうしたんだろうと思って近づいてみると、

 

「こういうの、よくない」
 衣香の声は、強い口調だったけど、震えていた。

 

「なんだよ。あいつ、はりねずみを食べたって言ってたし、痛みを感じねーんだよ。その実験だって」
 高義は舌を鳴らしながら、喚き声を上げていた。でも、僕の姿に気が付くと、彼はしまったという顔をしながら慌てて、廊下の向こうへ走り去っていった。

 

「どうしたの? って、血、出てるよ」

 

 衣香の掌には、小さな画鋲が握られていた。針の先が掌の端っこに食いこみ、髪の先くらいの血が滲んでいた。

 

「……痛くないよ。こんなの」
 衣香は画鋲を床へ投げ捨て、血の出たところを噛むように舐める。

 

「本当に?」
 僕が心配そうに尋ねると、衣香は上靴に履き替え、肩を怒らせながら廊下を進んで行った。

 


 その日から、衣香の様子が変わった。
 いや、違う。クラスの雰囲気が変わっていた。
 今まで薄ぼけた灰色の空気を宿していた教室が、より一層、濃くなった。いろんな色が混ざり合って、光の見えない真っ黒な色へ近づいたような感じだった。

 

 クラスのみんなが、衣香を無視するようになった。

 

 なんで。どうして衣香が苛められるんだ。
 一足早く、真っ黒な穴の中へ住んでいた僕には、その理由がわからなかった。

 


「はりねずみに近づきすぎて、あいつは痛みを感じなくなった」

 

 そんな噂を聞いたのは、衣香が学校へ来なくなってからだ。

 

 

 


 夏休みが近づいたある日の学校帰り。僕はなんとなく衣香の家へ寄った。

 

 蝉しぐれを頭から被りながら、なんとなく家の前から窓をぼんやりと眺めていると、衣香が玄関から出てくるのが見えた。

 

「どうしたの?」
 衣香はきょとんとした瞳を瞬(しばた)かせながら、僕に問いかける。

 

「いや……。学校、ずっと来てないから」
 僕がおずおずと言葉を発する。

 

「あぁ」衣香は渇いた笑い声を転がした。「いいの。私、夏休みが終わったら、引っ越すし」

 

「そうなんだ」
 僕は淡々と返した。

 

「うん」
 衣香が頷く。

 

 僕は不思議と、何も感じなかった。
 この夏が終われば、衣香がいなくなる。そのことに寂しさも、悲しみも、虚無感すら覚えていなかった。あれだけ、衣香と仲良くなりたいと思っていたのに。

 

 なんでだろう。

 

「……なんでだろうね」衣香が僕の心を読んだように、声を上げた。その瞳は空を見上げていた。「全然、痛くないんだ。心の中」

 

 僕も衣香と一緒に空を見上げた。
 青空にぽっかりと浮かぶ太陽。空っぽの色をした水の中に、ただのピンポン玉が浮いているようだった。

 

 眩しい日差しが目の奥を貫いてきて、僕は顔をしかめた。

 

「眩しいねぇ」
 横を見ると、衣香も掌を掲げて、顔をしかめていた。
「青春って言葉」衣香がぽつりと呟く。「誰が考えたんだろうね。全然、青くないよ。おまけに、眩しくて、目が痛い。私も、はりねずみになって、穴の中にもぐりたい」

 

 衣香がおもむろに、掌を差し出してきた。
 この前、画鋲が刺さっていた掌に、傷はもう無かった。
 僕はその手をおそるおそる握る。熱くもなく、冷たくもなかった。衣香が、痛いほどにぎゅっと、僕の手を握り返してきた。

 

「じゃあ、元気でね」
 それだけ言うと、衣香は家の中へ引っ込んでいった。

 

 僕はまた独り、蝉しぐれの中に包まれた。

 


 ――この世界には、痛みが感じない世界もある。

 そのことに出会った、ある夏の思い出だった。

 

*************

 以下。元の詩です。

 

 色が変わって
 絶えず絶えず
 歩いてく道を吸い込んだ
 そして呟く
「明日は楽な道を」

 例え太陽が消えても
 余計な気持ちは考えない
 あぁ空に光が建つ
 君に抱き締められたいよ
 余計な気持ちは持たない
 あぁ僕に空気が無く

「痛いから手をつないでね」
 土の下から君が囁いた
 行き先はワカラナイ
 空に穴が空いて
 僕は鼻をこすったよ


 息を触って
 知らず知らず
 今去った道を振り返った
 そして現る
 今日のおまじない

 僕は拍手に消えない
 余計な気持ちは生まれない
 あぁ足に鎖が断つ
 闇に閉じ込められたいよ
 余計な光など要らない
 あぁトゲに痛みが起つ

「痛いから側に置いてね」
 草の中から君が囁いた
 一緒はタンジュン
 君に色がついて
 空は穴を閉ざしたよ


「世界をミタヨ」
 痛くない見えないこの空に
 君と出会えたよ