言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

理系コンストラクション【第2号 非破壊レーザーに死角なし】

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2.非破壊レーザーに死角なし

 

 後輩の話を聞いて、私は憤慨した。

 その話を聞いたのは、久々に顔を出したテニスサークルで、休憩に入った時だった。

 ストロークとボレーのクロスを、五分二セット。社会インフラ学科二年生の後輩である篠田麻衣(しのだまい)と本気で打ち合い、ベンチに座りながら首筋にかいた汗をタオルで拭きとっていた。篠田が小さなピンク色の水筒をあおりながら、「あーそういえば、葵(あおい)先輩」と話題を提供してきた。

「先輩の言っていた、琴葉音絵(ことはおとえ)先輩。うちの同級生の男を、初日の構造力学の演習で、完膚(かんぷ)なきまでに打ちのめしてましたよ」

「はぁ?」

 タオルを握り締めたまま、私は思わず声を荒げた。自分の打ったスライスサーブが、あらぬ方向へ飛んでしまった感覚に包まれた。

 聞くところによると、演習の初めは、清楚で柔らかな春風のような雰囲気を醸し出していて、優しそうな笑顔を浮かべていたとのことだ。

「葵先輩の言う通り、可憐な花のような人でした」

 篠田がうっとりとした表情で呟いている。うんうん。そこまではいい。

 何しろ私が散々、ティーチングアシスタントの時は、笑顔を取り繕えと指南したのだから。卒論の発表練習をする時に、鏡の前に毎日十分立って、笑顔の練習をしろと。

 苦労の甲斐もあって、卒論の時にはようやく、あの微笑みを作れるようになっていた。二か月もかかったから、音絵の顔の筋肉は、死滅しているんじゃないかと思ったほどだ。だから、第一印象がいいのは当たり前だと思った。元々、容姿だけは先輩、後輩から評判がいい。

 しかし、演習開始直後。とある男子学生が突然、「何一つ、わかりません」と意味不明の質問をしたらしい。その瞬間に、講義室の空気が春から冬へ逆戻りしたように冷たくなったとのことだ。

「冷凍庫の中に、全員の頭が突っ込まれたような気分でしたよ」

 篠田が大げさに自分の肩を抱きながら、身体を震わせて笑っている。

 なんだ、その大バカは。反抗期に、きつい校則に縛られた学校へ対抗するべく立ち上げられた中二病反組織の代表か。ちょっと私の前まで連れてこい。その顔に直球のフラットサーブを決めてやる。

「いやー、佐野(さの)って言うんですけどね。あいつ、一年の頃から、なかなか空気読めない奴で。最近、彼女ができたらしいんですけど、まぁ、基本、バカなんですよ、バカ」篠田が水筒の蓋をしめながら、バカバカと繰り返す。「あの態度は、私が琴葉先輩の立場でもキレますよ。講義の内容聞いてたら、誰でもちゃんとわかりましたからね。小菅(こすが)先生の講義、丁寧でしたし。だから、琴葉先輩が悪いわけではないんです。佐野の奴、講義中、ずっとスマホもいじってましたから」

 私は「うわぁー」と心の中で叫びながら、「本日は最高気温二五度を超える青天日和です」と天気予報のお姉さんが絶賛していた空を仰いだ。真っ赤な太陽の真っ直ぐな日差しが、私の瞳を貫き、脳の芯を熱くする。

 話を聞かない、不真面目、空気読めない。見事に音絵の性格と正反対の存在だ。この二人がダブルスで組もうものなら、どうやって試合に勝たせたらいいのか、全く算段がつけられない。

 音絵には「見た目も性格も素晴らしい」と、次の世代から言われるようになってもらわないと、私が困ると言うのに。

 既に初日からやらかしてしまっていたとは。構造力学を学ぶ社会インフラ学科の二年生には、「かたい女」の異名が深く胸に刻み込まれたに違いない。私のいろいろな根回しが、すべて水泡(すいほう)に帰してしまった。

 最近、私も研究が忙しくて、音絵に会っていなかった。六月にはとある学会で論文を発表しなければならない。

「あ、それとですね。私の友達がこの前、琴葉先輩にですね……」

 篠田は楽し気な声を弾ませながら、次の話題の切れ端を喉の奥で準備していた。

 他にも私が憤慨するようなことをやらかしているのか、音絵は!

「あー、もう! 私の計画が、台無しだわ!」

 私はテニスラケットのフレームを、地面にガンガンと乱暴に叩きつけた。ここ数日、青天の日が続き、乾ききったテニスコートの土が細かな砂埃を舞い上げる。私は思わず掌を振り、咳こんだ。

「……あ」篠田が声を上げる。「葵(あおい)先輩。ラケットのガット、今、切れましたよ」

「ええ?」

 ラケットをかざして見ると、真ん中あたりのガットが何本か、ぷっつりと切れていた。しまった、力を入れすぎた。ナイロン製の安物だから、切れやすいのだ。

 これは音絵にも、罪の意識を感じてもらわねばならない。

 

 

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