言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

世界が少しでも【1.春の前】

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1.春の前

 


「志望動機は、ありません」
 わたしは背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向き、迷いのない口調で、凛とした言葉を放った。
 さっきまで春の日差しが入り込み明るかった部屋の色彩が、水槽の中に灰色の絵の具を落としたようにじわじわと薄暗くなっていく。息も詰まるほどの重々しい空気が、身体の中に入り込み、悠然とした気持ちに影を落とす。
 ここは大手食品会社、東京本社の一室。初夏めいた陽気とは隔離された場所。そこで、わたしは硬くて冷たい、無機質なパイプ椅子の上に座っていた。
 わたしと向かい合って座っている面接官は、この会社の部長や課長などの管理職たち。わたしが喉の奥から放った言葉に対して、面接官はまるで茶渋を噛み締めたような顔で困惑し、お互いの視線を迷わせている。当然のことだ。こんなことを言い放つ就活生など、絶対にいない。だけど、既にわたしはそのことに慣れつつあった。
 緊張は全然なかった。あるのは、パイプ椅子の座り心地が悪く、鉄格子の上に座っているような無機質な感覚だけだった。悪戯好きのネズミが這いまわっているかのように、背中がもぞもぞと痒(かゆ)みを感じていた。無機質なのは、自分の心がそうなのか、それとも目の前の面接官たちの対応が冷たいのか。冷凍庫から取り出しても溶けることのない氷が、目の前に置かれているようだった。
 ――南春香(みなみはるか)さんがこの会社を選んだ理由を教えてください。
 最初の質問に対して、まるで決まりごとのような言葉を口にするようになってから、わたしは一体、いくつの会社に履歴書を出したのだろう。
「わたしは一体、何がしたいのか、よくわからないんです。昨今の若者は綺麗事ばかり並べて、将来が安定した職業や自分の能力を生かせる仕事、夢を追う仕事など、仕事を選んでいます。でも、わたしは仕事を選ぶつもりは全くないんです。大してやりたくもない仕事をやることに、意義を感じないだけなのです」
 お腹に力を込め、はきはきした口調で言葉を並べた。言葉を切ったあとは、唇を固く結び、真面目な表情を作る。喋り方は完璧。背筋は伸ばしたままで姿勢も良い。それなのに、口から零れ落ちていく受け答えが、これだった。何度も考えた志望動機。志望動機と言ってよいかどうかもわからないもの。他人から見れば、単なる言い訳。
「……いや、しかし、そうは言っても、君ね。それは結局、君も仕事を選んでることと同じなのでは?」
 手元に置いてあるわたしの提出した履歴書を睨みながら、目の前に座る面接官は眉間に皺(しわ)を寄せている。時折、瞳だけを傾けて、履歴書とわたしを見比べている。隣に座る黒縁の眼鏡をかけた面接官は、おもむろな視線で腕時計を見つめている。面接が始まってから、まだ数分しか経っていないはずなのに、すでに三十分以上の沈黙が流れているような感覚にとらわれる。履歴書の紙をめくり上げる音と、自分の息遣いだけが耳にかろうじて届いた。
 わかってる。わかっているんだ。嘘でもいいから、正論とか綺麗ごとを並べればいいんだ。たった一回の嘘じゃないか。就職するためには、自分をだますことも必要なんだ。
「仕事は選んでません」
 そう言い聞かせても、間髪入れず、わたしは面接官の眉間の皺へ自分の無駄な信念を突き立てるように、深々と言葉を刻み込む。
「やりたくないことと、やらなきゃいけないことは、わたしの中で同義ではありません。生きてくだけでいいのであれば、わたしは自給自足の道を選んだ方がまだましです」
 わからないことに対して嘘をつくことは、わたしが今まで生きてきた二十一年間の中で、一度たりとも許されないことなのだ。
「では、なぜ我が社を受けたのですか?」
 眼鏡の面接官が、少々うんざりした様子でわたしに問い詰める。かけていた眼鏡をいつの間にか外して布で拭いていた。
「だから、志望動機はありませんと、先ほどお伝えしたはずです」
 誰がついたともわからない溜め息が、部屋の空気と同化していった。
「……志望動機は、もう結構です。次の質問にいきます」
 真面目に受け答えしていた質問は、ここまで。後は、学生時代に打ち込んだことや将来の夢などを聞かれたが、何て答えたかは覚えていなかった。

 


 冷え込んだ夜空の下、震える肩を抱きながら、寒さから逃げるようにアパートの玄関へ飛び込んだ。部屋の明かりとエアコンの暖房のスイッチを同時に入れる。いつもの狭いワンルームが無機質に輝き始める。家の鍵とポストに届いた封筒を机の上に置くと、冷たい身体に人工的な温かさを纏った風が舞い下り、首筋を撫でていく。
 髪をかき上げ、コートを脱ぎ、ハンガーにかける。洗面所で手を洗い、うがいをした。身体は芯まで冷え込んでいた。早く温かいものを飲みたいと思い、キッチンに立つ。
 ヤカンに水を入れ、お湯を沸かす。カチカチと火花を散らしながら、コンロから青白い炎が噴き出す。揺らめく炎がわたしの脳をくすぐるように、先週の面接をぼんやりと思い浮かばせる。机の上に置いた封筒をチラリと見て、ため息をつく。
 過去を思い出しながら吐き出すため息は、その時の重々しい空気が少しばかり混じっているのか、わたしの部屋の中を心なしか、薄暗くさせているようだった。
 薄暗い空気を吹き飛ばすように、ヤカンのお湯が沸騰する。火を止める。最近、買ったばかりの透明なティーポットへレモンとハーブのティーバッグを入れ、お湯を注いだ。真っ白な湯気がポットの中で渦を巻きながら飛び出し、わたしの鼻の頭を撫でて、消えていく。蓋をして、部屋の真ん中にある丸テーブルの上へ、ティーカップと一緒に持っていく。熱々のポットを置き、じっと待つ。柑橘系の酸味をきかせたかぐわしい香りが、部屋いっぱいに広がり、心を落ち着かせる。もし、太陽に香りがあるとしたら、こんな感じなのだろうか。
 数分蒸らしたあと、ポットからカップハーブティーを注ぐ。わたしはふぅふぅと息を吹きかけながら、今日届いた封筒を開け、中身を取り出した。
 わかってはいたけど、今日もまた、『不採用』の三文字が、わたしの目に深々と突き刺さった。
 お茶が入ったカップを置き、手を伸ばして、机の引き出しを開ける。会社に提出した履歴書のコピーを引っ張り出した。拍子に他の書類が引っかかって床に落ちたけど、気にしなかった。
 履歴書の右上には、数週間前に撮影した小さな写真が貼り付けてあった。写真の中の女性と目が合う。南春香と名前が書かれた志望動機の欄には、わたしの言葉ではない文章が淡々と書かれていた。彼女は別人のようだった。何度も書き直した志望動機が、わたしの嘘を積み重ねるように並んでいる。ため息を繰り返しても、出来上がった嘘は崩れることなく、胸を締め付ける。
 灰皿に押し込まれた湿気った煙草に火をつけようとして、首を振った。この春から絶対に禁煙するって、心に決めていたんだ。だったら灰皿なんて捨ててしまえと脳が命令を下しているけど、こういうところが心の弱さに直結してるんだなと、わたしは苦笑した。
「心を落ち着かせるには、ハーブティーがいいよ」
 という大学ゼミで一緒になった友人の助言で、リラックス作用があるハーブティーを飲み始めた。最近、その量が自分でも驚く程、多くなっていた。煙草は今のところ、なんとか吸わずにいることができたが、どれだけストレスが溜まっているのだろう。
 忘れよう。そう思い、カップに唇をつけながら、気分転換にテレビでも見ようと、リモコンを押す。就職活動をテーマにしたドラマがちょうど放送されていた。
 ――おれだって、未来を生きるために、就職活動、頑張ってるよ。
 主人公らしき若者が、家族に対して怒りをぶつけていた。たぶん、なかなか就職できない苛立ちや不満が爆発した場面なのだろう。
 就職活動を、頑張る。
 その言葉にわたしは胸の隅っこがチクリと痛んだ。引き出しの奥には他にも、これまでに届いた不採用の手紙が、ちょっとした冊子を作れるくらいに織り重なっていた。同じ数だけ不採用になった履歴書のコピーは、まるで、わたしの偽物の人生物語がひとつひとつ、積み上がっているみたいだった。
 わたしを現実から目を背けるように引き出しを閉じ、ハーブティーの入ったカップに目を落とす。私の暗い顔が揺らめいていた。口角を無理やり上げて、笑顔を作る。
 大学から帰る地下鉄の中。大学の教授や先輩、友人との模擬面接。いろいろな就職セミナーにも何度も出席した。ぶ厚い就職関連の本も何冊も買った。冷たい雨がチラつく神社で、両手を合わせて願掛け。笑顔の仮面を被る練習も、鏡の前で一生懸命した。
『絶対に内定します!』
 そんな謳(うた)い文句を全面に押し出した就職本も、たくさん読んだ。ページを開いて、言葉尻を捉えてみると、なんとなくいいことを書いているように思えた。でも、それは自分の意気込みを高めるだけのものだった。まるで文字の見えない小説を読んでいるように、わたしの心には全く届かなかった。それどころか、就職するためだけに、自分で自分を洗脳しているように思えてきて、いつの間にか吐き気がしてきた。
 わかったことは、就職と言うのは自分探しである。テレビドラマのように、見知らぬ他人を演じること。自分という透明な他人をコンピューターグラフィックスのように構築していく作業。
 結局、わたしのやりたいことが、明確に浮かんでくることはなかった。逆に、いろんな本を読めば読むほど、わたしの未来が、泥沼にはまるように深く沈んでゆく。泥が入ったバケツの中に手を突っ込んで、光り輝く宝石を探すように。ようやく取りだした時には、思い描いていた未来が泥まみれになり、夢や希望がますます汚れていく感じがした。読んだ本の分だけ、やりたいこととはなんだろう? という受け皿が大きくなり、砂漠のように広がっていく。
 仕事はそんな砂漠のような世界を生きるための手段だ。お金をもらって、ご飯を食べていくために働く。それなのにどうして、仕事を探すこと自体が、まるで自分の生きる目標を見つけるかのような存在になってしまったのだろう。そこまでして、その行為を頑張らなきゃいけないのだろうか。物探しが苦手なわたしにとって、就職活動というものは、砂漠の中で落としたコンタクトレンズを拾うように、途方もない話のようだった。
 今更、面接官にウケのいい志望動機や言い回しなど、小手先の仕草を手に入れたところで、今まで使った面接の時間が払い戻しできるわけではない。自分の言葉で説得力を磨かなければならないはずなのに、履歴書に鉛筆で書き出す言葉は、自分の言葉ではなくなっていた。
 わたしは一体、何がしたいのか。
その明確な答えを見つけないと、これからも同じ時間を繰り返すだけだ。月並みな理由を添えたところで、就職した後に残るものは、きっと単なる黒こげになった努力の灰なんだ。
 わたしは、わたしのやりたいことをこれまでにやり続けてきた。これからも後悔しないように歩き続けていきたいのに、今になって飛び越えることのできない大きな壁にぶつかってしまった。
 いつの間にかぬるくなってきたハーブティーを、一気にあおる。甘くて、酸っぱい香りが、喉を滑り落ち、胃の中へ染み込んでいく。
 答えなんてあるはずもなかった。そんな泥沼の自問自答を持つようになってから、既に二ヶ月が過ぎようとしていた。

 

 

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 就活に関する最新の資料を見ながら綴っているので、推敲が多くなります。ご容赦ください。

 

 この物語は、既にアップしている短編小説『海猫は東雲色(しののめいろ)に舞う』の姉妹作品であり、主人公は同じ名前です。

 一応、辻褄が合うように物語を紡いでいきますが、そこまで関りを持たせるつもりはありません。

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