言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

魔女の独り言

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小さな村にアンケゴークという魔女が住んでいました。
これはそんな魔女が紡ぐ、短い短い、独り言。

 


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 もうずいぶん昔の話ですが、

 アンケゴークという魔女が、僕にこんな話をしてくれました。


「長い長い、それは気の遠くなるような長い川に、満月の夜になると、ろうそくを灯したランプを1つ、ひっそりと流している少女がいました。


 少女は、そのろうそくを灯したランプを流すと同時に、ある願いをかけます。


『どうか、お父さんが無事でいますように……』と。


 少女の父親は、川を下った海の、更に向こうの国に旅立っていきました。

 当時、その国は戦争の真っ最中で、父親が無事でいるように、願いを込めてろうそくを流していたのでした。


 満月の夜、ろうそくを灯したランプはゆっくりとゆっくりと長い川を下っていきますが、ろうそくの灯が消えたら、願いは叶わない。
 消えずに海まで流れて行ったら、願いは叶う。


 そんな言い伝えが、少女の住む村にはあったのです。

 

 でも、その少女は、願いが絶対に叶わないことを知っていました。

 

 なぜだと思いますか?

 

 その川は、海になんてつながってはいないということを、父親と旅をしていた少女は最初から知っていたからです」

 


 アンケゴークは魔法使いであり、医者でもありました。

 どんな病気も、不思議な力を使って、たちどころに治してしまいます。

 本当にどんな病気も治せるものだから、たとえよそ者だとしても、彼女はこの村ではとても人望がありました。

 また、アンケゴークのすごいところは、怪我や病気だけではなく、精神的な病も治せるってところです。

 つまり、人の心も簡単に動かせるということです。

 その力を使って、アンケゴークは、たくさんの人たちの願いを叶え、かけがえのない喜びや生きる希望をもたらし続けていました。

 

 僕も昔、戦争によって仕事も失い、家族とも離れ離れになり、心が壊れてしまった時期がありました。

 それはもう、どうしようもなく、この世界が嫌になっていたのです。

 死をも考えた時でさえ、ありました。


 しかし、偶然にもこの村に辿り着き、アンケゴークに出会い、彼女の力のおかげで、今ではもうすっかり気持ちを落ち着かせることができたのです。

 そして、この村で新しい生活を始めることができるまでに至ったのでした。

 

 

 アンケゴークがなぜ僕にこんな話をしてくれたかと言いますと、その少女が唯一、彼女の力を持ってしても、心を動かすことができず、願いを叶えることができなかった人間だったからだそうです。


 アンケゴークは更に話を続けました。

 

「願いを一瞬で叶えることよりも、たとえ叶えることのできない願いでも、村の言い伝えにすがることで、その願いに希望をかけ続けた方が少女は良かったんだと思います。

『父親が無事でいますように』という願いを、一瞬で叶えることよりも、頼りないろうそくの灯に願いをかけ続けること。

 それだけが少女の願いであり、心の支えだったのです。


 確かにわたしはどんな願いも叶えることができますが、さすがに、一度失ってしまった命を元に戻すということまではできません。

 誰かの重くなった心の負担を軽くすることはできても、誰かの怪我や病気を治すことができても、尊い命の循環に触れることなんてことは、神だけが使える所作です。


 だから、どんな願いもすぐに叶えることができるということは、少女にとっては、苦痛以外の何物でもなかったのかもしれません」

 


「……じゃあ、アンケゴークさんは、その少女の父親がどうなってしまったか、知っていたのですか?」

 僕は尋ねました。

 

 アンケゴークは目をふせ、長い間を置いて、こう答えました。

 

 


「だからわたしは、その不思議な言い伝えが残るこの村に、子供の頃からずっと住み続けているのですよ」

 

 


 ……大人になったその少女は、今でも満月の夜に、ろうそくの灯ったランプをひっそりと川に流し続けているのです。