言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

★011.新型コロナ終息後の夜明け空に思う彼是

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 布マスクをしながら地下鉄に乗り込むと、座るところがなかった。小早川(こばやかわ)紗希(さき)は、ため息をマスクの中に吐き出し、人々の視線に背を向けた。電車の扉の前に立ちながら、少し伸びた前髪を指先で引っ張り、かき分ける。そろそろ髪を染めたいと思った。

 六月になって、緊急事態宣言が解除された。街には活気が戻ってきたような気がする。ソーシャルディスタンスも少しだけ、短くなったように思う。いや、人がようやく外を歩くようになっただけなのかもしれない。

 紗希の会社は四月の中旬から完全在宅勤務になっていて、この週明けから通常勤務に戻る。在宅勤務といっても、紗希は派遣職員で採用されたばかりだったので、会社のサーバーにアクセスできるノートパソコンが支給されたものの、軽作業ばかりで退屈をしていた。

 合間に毎日、ニュースをチェックする時間が増えた。世の中のニュースはずっと、感染者が何人増えたとか、クラスターが発生したとか、同じ暗い話題ばかりだった。

 紗希は在宅勤務中の生活を頭の中で思い出しながら、地下鉄の窓を見つめた。窓にはマスクをした自分の顔が映っていた。窓の外は暗かったので、自分の暗い瞳がよく見えた。

 昼食によく通っていた近所のスープカレー屋が店を畳んでいた。世の中の様々な人がウイルスの影響を受けているが、被害はやはり甚大なのだ。カレーの辛さと旨さが絶妙にマッチしていて、パリパリに揚げられた鶏肉がジューシーで美味しい店だった。紗希は固唾を呑み、看板が取り外された店の前をあとにした。

 給付金は既に申し込んだ。紗希の給料は幸いにもほとんど変わらなかったけど、十万円ぽっちで、何ができるのだろう。三か月近くも経済活動を自粛していたのだ。紗希は日本の経済活動へ少しでも足しになればいいと思い、口座に振り込まれる前に、すぐに使おうと思った。少ない預金の中から十万円を引き出す。

 今日はネットで話題になっている飲食店でテイクアウトをしようと眺めてみる。野菜炒め定食がおいしそうだった。ほかほかの弁当袋をぶら下げる前に、駅前のデパートで使い切りそうだった化粧品、ちょっとだけいい感じの洋服とパジャマ、前から欲しかった小さな座椅子と、数冊の本を買った。紙袋と弁当袋をぶら下げ、帰りにコンビニで、ハーゲンダッツのアイスも大人買いした。意外にまだ残っている。十万円ぽっちと言ったのは訂正しよう。残りは温泉旅行にでも行こうと心に決めた。Go to キャンペーンと併用して。そんなことに胸をほんの少しだけわくわくさせながら、家に着く。

 手を洗い、うがいをし、新発売のベリーベリーミルクを食べながら、紗希は部屋の天井をぼんやりと見上げた。高梨さんの家は、四十万円か。いいな、と紗希は思った。独身の人や派遣職員のような力の弱い人たちへの支援はもっとないのだろうかと、少し思ったりもする。テレビをつけると、「消費税の増税は正しかった」と力説する政治家が映った。「未来の子供たちのために、必要な措置だった」と言い訳がましく演説していた。未来の子供たちはどんどん減っていく一方なのに、今の若者たちへ手を差し伸べるのは、一体、いつなのだろう。

 いろいろな意味で耳が痛くなってきたので、顎にぶら下げたままのマスクを外し、洗面所でもみ洗いをする。使い捨てマスクは最近、買えるようになったけど、布マスクが妙に顔にしっくりときたので、紗希はこれを使い続けている。どうせ誰にも会わないし、いいのだ。随分前、ドラッグストアから在庫が煙のように消え、全然買えなくなった時にはどうしようかと困惑した。二年前、地震で停電になった経験を生かして、災害グッズを買っていたことを思い出した。クローゼットの中をごそごそしていると、大きなリュックが出てきた。中に大量のマスクもあったので助かった。でも、最近は暑くなってきて、マスクの中の湿度が急激に高まった。化粧に気を遣うのが更に大変だった。

 親友の山口香(やまぐちかおり)とテレビ電話で会話をたまにした。香の会社では、「マスクをしていれば大丈夫だ。根性で会社へ出ろ」と言われ、緊急事態宣言が発動されても、通常勤務のままだったらしい。でも、感染者が出てしまったらしく、すぐに会社の機能が停止した。「自業自得だよね。さっさとテレワークにしてればよかったのに。ビッグカメラとかに在庫がない中、慌ててノートパソコンを買いに行っても遅いっての」と憤っていた。

 なぜだろう。自分の会社だけは大丈夫だという精神は、どこから湧いて出てくるのだろう。現場に出ていかなければ仕事にならない人たちもいる。それはわかっている。だけど、危機に瀕しても、根性論が叫ばれるのは、どうしてなのだろう。紗希にはわからなかった。世間はいつも、事後対策だ。先を読む力が欠けているのだ。でも、働き方改革ステークホルダーも、人が死なないと得られなかった。それと同じなのかもしれない。

「私は、契約を切られなかっただけ、ましか……」

 布マスクを洗濯ばさみに挟んで、乾かしながら一人呟く。

 世界は大きく変わった。ひと昔前、氷河期世代と冷遇されていた若者へ降りかかった自己責任論よりも、更に大きな波が押し寄せている。あの時はまだ、良かったのかもしれない。即戦力という甘い言葉に会社が頼れたから。今はもう、即戦力すらいない。働く人がいない。いつか、日本に生まれる子供たちの数より、特定技能制度による外国人労働者の数の方が増えるかもしれない、と誰かが叫んでいた。氷河期世代を見捨てたツケが、ついに表面化してきた。もう戻れない。

 日本の会社は日本の会社で、在宅ワークで浮き彫りにされた課題を整理しながら、優れた人だけを育てる方向へ舵を切っている。『完全なる実力主義』と高々に烙印を押した船が、まさにこの世で出航しようとしている。いや、既にしていたのかもしれない。

「……私は、どう生きればいいのだろう……」

 私はその船にすら、乗れなくなるのだ。きっと。

 夜闇に自問自答しながら眠りにつくと、早朝にベッドで目を覚ます日々が続いた。鐘の音が聞こえる。

 お腹も鳴ったので、紗希は起き上がり、冷蔵庫を開ける。食欲がなくて残した、テイクアウトの野菜炒めを取り出す。今日新調したパジャマ姿のまま、電子レンジで温める。パジャマは思い切ってジェラートピケを買ってみた。ふわふわした着心地がとてもいい。お金はないけど、安いものばかり買っては経済がまるで回らないから、これでいいのだ。

 温めている間、パソコンを起動する。インターネットのニュースはようやく、ウイルスの情報を垂れ流すことをやめ、世界が変わったことを報じていた。でも、ニュースで報じられている時には、既にその世界の中へ頭まで突っ込んでいる。世に出てくる情報は新しいようで、もう使えない。

 今の日本はボトムアップが必要だと、紗希は考えていた。でも、今回の新型コロナウイルスの影響で、そのボトムが、足元から瓦解した。

 ……泣きたくなる。

 電子レンジで温めた熱すぎるくらいの野菜炒めは、豚肉の油に野菜のうま味が染み込み、絡みついていた。脂っぽいけど、無駄にいい味がした。舌の上にじわりと香ばしい味が広がっていく。冷蔵庫に寄りかかったまま、紗希は箸で口に運ぶ。

 野菜炒めは冷蔵庫に入れておけば、おいしく食べることができる。けど、人は家に閉じこもって成長を諦めると、時代に追いつけなくなる。おいしい料理を出せなくなる。腐食した自分の肉など、誰が食べたいと思うだろう。人々の成長を止めたのは、一体、誰なんだろう。自分で成長する気がないことを自己責任だとしたら、成長する気があるのに成長すらさせてくれない社会にしたのは、誰の責任なのだろう。誰も、もう手を差し伸べてはくれないのだろうか。成長できる猶予は、果たして残されているのだろうか。

 激動する時代の中で紗希は、どうすればいいのか、わからなくなった。涙はとうに枯れていた。夜明けの冷蔵庫に寄りかかったまま、豚肉を噛み締め、独り、思い悩む。背中が熱を持っていた。

 不意に、いきものがかりの『月とあたしと冷蔵庫』が聞きたくなった。

 いつから私は、私を作ったのだろう。頭の中で昔よく聞いていた曲が、妙にシンクロした。窓に近寄りカーテンを開けると、薄紫色の空が広がっていた。月は見えなかった。

 

 

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 動画が無いので、歌詞だけ。

『月とあたしと冷蔵庫』/いきものがかり

http://j-lyric.net/artist/a04c814/l00c24f.html

 

↓ 聴きたい人はこちら。

 

 

【本日のキーワード】

#コロナ終息後

#消費税増税は正しかった

#超実力主義

#10万円は全額使おう

 

 

【本日の参考資料】

 

日本の去年の出生数は86万人でした。

死亡数を差し引いた人口の自然減は、50万人を突破しています。宇都宮市が消滅したのと同じです。

少子化は急加速しています。これはもはや、働き方改革云々でどうなる問題ではないと思います。

 

www.nikkei.com

 

www.nippon.com

 

記事には以下のようなことが書かれています。

『197~74年生まれの団塊ジュニアが2019年に45歳以上になった影響もある。同研究所の岩沢美帆・人口動向研究部長は「この世代は就職氷河期に直面するなどし、若い頃に見送っていた出産が後ろずれしたことで、直近の出生率を下支えしていた」と話す。』

うまく就職できて、結婚できた方はいいですが、氷河期世代はそもそも結婚すらしていない人が多数と思います。三割超えてますからね、ロスジェネ世代・男性の未婚率。結婚していない理由は、『経済的余裕がないから』です。

 

gendai.ismedia.jp

 

danro.asahi.com

 

 

『1970年代生まれはなぜ結婚しないのか?』

http://  https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2020s/0/2020s_163/_pdf

 

以下のことも書かれていました。

『松谷明彦・政策研究大学院大名誉教授(マクロ経済学)は「若い世代が減っている以上、政府の少子化対策に劇的効果は望めない。人口減を前提とした社会、経済に転換していく必要がある」と指摘する。』

この松谷さんという方の著書を拝読したことがありませんので、記事の言葉の意図は掴めません。が、何も知らない人が勝手に言葉の意図を掴むと、「外国人労働者を増やせばいいじゃん」という単純な思想につながりかねません。

 

日本の外国人労働者は年々、増えています。2019年の10月時点で165万人です。新型コロナの影響で今後、どうなってしまうかは不透明ですが、先日、『特定技能』にコンビニも追加するよう求めたという話が出ていました。

 

『特定技能とは~2019年4月、入管法が改正され、「特定技能」という就労ビザが新設されました。

この特定技能ビザは、日本国内で人材を確保しきれない業種の人材補填を、外国人労働者でカバーすることを目的としています。』

 

簡単に言うと、日本の人手不足を解消(労働力確保)するための制度です。一種、二種というのがあるものの、取得すると日本に永住も可能です。コンビニが追加された場合、日本に永住もしくは5年住むことのできる外国人が今後、爆発的に増える可能性があります。

 

 

www.nippon.com

 

shirofune.jellyfish-g.co.jp

 

でも、私的には、日本の氷河期世代や非正規雇用の問題をおざなりにして、単純に外国人労働者を増やすっていうのは、どうかなと思っています。もちろん昨今のグローバル事情を鑑みると、優秀な外国人労働者を増やすことは必要と思います。

15~39歳のニート数は71万人ですからね。40歳以上はそれよりも多いらしいですから、少なくとも150万人以上いるのです。※ソースの調査年度が異なるので、数字に若干、差があり。

 

外国人労働者数と、ほぼほぼイコールじゃないですか。

数字だけ見ると、「日本のニート、技能を持たない人間なんて、要らないですよ」と言っているようで、本当に悲しくなります。

 

私は何度も言っていますが、今の日本に必要なのは、単純に労働力を増やすとか残業を減らして労働生産性を上げるではなく、若者も含めて、働きたくても働けない人たちや非正規職員などのスキルがなかなか身に付けられない人たちに対して、支援・教育を行うことによるボトムアップです。政府もいろいろ既に行っていると思いますが、まだまだ不足しているのが現状でしょう。

 

あるYouTubeでも言っていましたが、日本の出生数よりも、外国人労働者の増加の方が多くなる日が近々やってくるのは、本当かもしれません。

 

news.yahoo.co.jp

 

www.businessinsider.jp