言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

猫は朝霧に燃ゆ【5.円環は朱に染まりし凪の花①】

 

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5.円環は朱に染まりし凪の花①

 

 久々の雑踏に飲み込まれた。

 広島駅のバスターミナルは、荷物を抱えた観光客で溢れかえっていた。ちらほらと、ビジネスバッグを持ったサラリーマン風の人間もいたが、夏休みとあって、家族連れの旅行者の方が多かった。

 電車が線路を揺らす音。バスのクラクションが連鎖する音。車のタイヤがアスファルトと擦れる音。たくさんの人たちが話す会話の音。

 離島では聞くことの出来ない、騒々しい音の数々に、ナツは耳を塞ぎたくなった。

「初めてこの駅に降りたときも思ったけど。広島って、やっぱり、大きい街なんだな」

 セトウチロック会場行き特別バス、と書かれたバス乗り場は、いかにもフェスに参加するぞという格好の人間が列を作っていた。2020年セトウチロックと表記されたTシャツを着込み、同じ表記がされたタオルを首に巻いている。そんな人たちの隙間に、ナツとハルはひっそりと紛れ込んで立っていた。

「そうだね。わたしも初めて来たとき、びっくりしたよ。札幌とはまた違った賑やかさだよね」

 隣に立つハルが、ナツを見上げる。列は窮屈だったので、肩と肩が触れ合いそうだった。

「やっぱり、お好み焼きのお店、多いの?」

「わたしはあんまり広島までは出てこないけど、お父さんに連れられて、何度か、行ったことあるかな。札幌駅のラーメン王国みたいに、お好み焼き王国って感じだよ。ほとんどの店で、大きい鉄板が敷いてある」

「そうなんだ」

お好み焼きの他に、熱々の鉄板焼も食べれるんだ。すごく、美味しかったよ」

 ハルが昔を思い出しながら瞳を傾けていると、大きな観光バスが目の前に、クラクションを鳴らしながら滑り込んできた。扉が開き、列に並ぶ人間が吸い込まれていく。

「ハルって、こういうフェスとか、興味あったんだ。知らなかったよ」

 ハルをバスの窓側の席へ座らせ、隣にナツが座った。バスの中はもう満席だ。

「わたし、結構、音楽好きだよ。誰も知らないようなオルタナティブバンドを発掘するのが好き。結構昔のバンドなんだけど、アンディモリとか」

オルタナ……。何それ?」

 ナツがきょとんとしていると、ハルがくすりと笑う。

「なんて言えばいいんだろう。時代に囚われない自由なロックと言うか。胸にぐっとくる音楽が多いよ」

「おれは、アキがユーチューブしか見ないから、そればっかり聴いてるな。部室で、いつも鳴り響いてる。いつの間にか歌詞と曲が、頭の中でループしてるよ。タイトル知らないけど。そういえば、あいつ、玲子さんの歌は聞くことはなかったな」

 バスが動き出す。窓の外の雑踏が流れて、視界の隅へ消えていく。ここからフェス会場の広島県立北岡公園までは、高速道路を経由して、一時間ほどかかる。

 ハルは窓の外を眺めていたが、すぐに前を向き、駅のコンビニで買ったペットボトルを手に取る。綺麗な色をしたレモンティーだった。ナツの視線に気づき、フタを回しながらくすぐったそうに微笑む。

「ナツって、いつもわたしのこと、見てるよね。なんで?」

「え、いや。なんでって言われましても……」

 ナツは慌てて目を逸らし、誤魔化すように、同じくペットボトルのお茶を手に取った。一気にあおる。

 からかっているのか、本心なのか。少し苦みがあって甘い緑茶が舌の味覚を刺激し、喉を潤していく。ナツにはその言葉に含まれた本当の味がわからなかった。

 今日のフェスが終わるのは、太陽が沈んだ後だ。セトウチロックは二日に渡って開催されるが、真司からは一日目のチケットを貰っていた。広島へ戻ってくる時間は、午後八時を過ぎる予定だ。真司の親戚が経営する旅館が、広島駅の近くにあるというので、今日は特別にそこへ泊まることになっている。

 いわば、親公認の一泊二日旅行だ。部屋が別々とは言え、とんでもない。とんでもなく、あれだ。うまく言えない。

 ナツは胸の鼓動よ静まれと心の中で叫んだが、叫んだ時点で胸が大きく鼓動していた。

 高校の修学旅行と思えばいいのだ。とにかく、今日は楽しむしかない。

「見て、ナツ! この会場のオープニングアクトは、あいみょんだよ! わたし、生で見るのは、初めてかもしれない! いや、初めてだ!」

 隣ではハルが、いつの間にかフェスのパンフレットを目の前で広げながら、座席の上で飛び跳ねている。広げられたパンフレットはそこそこ大きな紙なので、背丈の低いハルをすっぽりと隠している。頭の先っぽが揺れている。

 ナツはロックなんて聴かなかったけど、心臓の拍動は既に、はちきれんばかりだった。

 

 

 バスを降りると、髪の毛がチリチリと、少しずつ焦げていくのではないかと思うほど、強烈な日差しだった。ハルは慌てて、麦わら帽子を小さな頭に被せていた。

 絶好のフェス日和だね、と周りにいる人間が会話しているのが聞こえた。日差しに負けぬほどの熱気が、会場までの道のりに溢れていた。道路の脇には、水色の紫陽花が咲き乱れていた。見頃は七月中旬らしく、枯れかけたものもあったが、二人の目を楽しませるには、十分だった。

 セトウチロックの会場は、大きく三つに分かれていた。東と西と南だ。南側の会場は少し特殊な場所らしくて、東西の会場とは少し離れた森の中にあるらしい。ハルが絶対に見たいと推すあいみょんは、東の会場でトップバッターだった。

 小高い丘をそのまま公園にしたこの場所は、天然のドーム会場みたいだった。緩やかな丘の底に、楽器とマイクが並んだ特設ステージが設けられている。芝生の上に寝転がって見下ろしてもいいし、ステージの近くを陣取って見上げるのもいいし、自由な場所だった。

 ナツでも流石に知っているあいみょんは人気アーティストなので、既に東会場には多くのファンが集まっていた。開演までまだ一時間もあるのに、最前列は既に埋まっていた。

 ナツとハルはたまたま空いていた丘の中腹くらいに、小さなレジャーシートを広げて、寄り添うように腰かけた。アーティストの顔が肉眼でもギリギリ見える、絶妙な位置だった。ハルは双眼鏡を鞄から取り出し、ステージを見ている。用意がいいとナツは思った。

 太陽は、相変わらず絶好調だ。夏の気温を惜しみなく芝生の上に届けるその日差しから、逃げる場所などなかった。

 ピンク色や緑色のシロップに染まったかき氷をつつく人がたくさんいた。フライドポテトや広島風お好み焼きを頬張る人もいた。丘の下の方で、屋台に並ぶ長い列が見え、炭火や鉄板からこぼれる煙が立ち上っていた。

「水筒に入れた氷のぶつかる音って、なんかいいよね」

 ハルは持ってきた銀色の水筒を取り出し、上下に軽く振っている。コロコロと音がしている。

熱中症にならないように、こまめに飲むといいよ」

「ありがとう」

 水筒を受け取ると、すっぽりと掌に収まった。ひんやりとして、街中の日陰で涼むように、気持ちが良かった。

「ナツは休みの日、何して遊んでるの?」

 開演まで他愛のない会話をしていると、唐突に質問された。

「え? 休みの日? うーん。パソコンでユーチューブかな。あとは、アキの手伝い、とか。料理もたまに」

「へぇ。得意料理は?」隣で膝を抱えたハルが首を傾げている。

「大したものは作らないよ」ナツは苦笑する。「チャーハンとか、肉じゃがとか。牛丼とか」

「それくらい作れたら、十分だと思うけど。わたしは、料理、苦手」ハルがため息をつく。「お母さんが、料理、昔から上手で。元々、どこかのレストランで厨房を任されていたらしいんだよね。わたしが生まれる前の話だけど」

「なるほど。その血を、ハルは受け継がなかったってことか」

 ナツはバイト中、ハルが作った賄い料理の味を思い出した。カフェのメニューにもあるロコモコ丼だったが、ハンバーグのソースが少し煮詰まりすぎていて、父が作る料理のようだった。

「どういう意味ですかー」

「いえ、特に深い意味はありません」

「この前、言ってたトモコちゃんとは、遊ばないの?」

 紙コップへ水筒を傾けていたナツは、その言葉に動揺して、キンキンに冷えた麦茶をこぼしそうになった。

「高校三年生になってからは、クラスも別々だし、会話することもなくなったよ。……この話、もうやめない?」

「わたしのことをバカにしたお返しだよ。まだどんな子か、聞いてないしなぁ。ナツの好きな子のタイプ」

 切れ長の目尻が、悪戯っぽく吊り上がる。同じように、唇の端っこも、三日月のように鋭くなっている。

 言えるわけがない。言葉を麦茶と一緒に口の中へ押し流す。冷たすぎて、味が全然わからなかった。

「それより、ハルのことを聞きたいよ。休みの日は、何してるとか。……今まで、どんな人のことを好きになったとかさ」

「休みの日は、好きな音楽聴きながら、いろいろな本読んでるよ。ナツと違って、わたしは活字が好きだからね。好きな人のタイプは、ナツが教えてくれないなら、わたしも教えなーい」

 ハルがぷいと横を向いて唇を尖らせたとき、会場に黄色い声援が響き渡った。芝生に座っていた人たちが、何かに弾かれるように立ち上がる。丘の下の方から人の波が伝播し、煮えたぎった会場の空気が更に上昇していく。

 ナツもハルも波に乗って、立ち上がる。東の会場は、芝生が見えないほど、人に埋め尽くされていた。前も後ろも、左も横も、名前もわからない男女がまだかまだかと呼吸を忘れ、最初の歌声を待ち焦がれている。まさに、人の海だ。色とりどりの帽子や、濃い色や茶色い髪の毛や、フェスのタオルなど、その色は統一されていなかった。でも、ここにいる人たちの胸の内は、共通しているんだと、ナツは思った。音楽がすごく好きか、隣にいる人と同じ時間を過ごしたいか、おそらくどちらかだ。ナツはハルの横顔をちらりと見ながら、そんなことを考えた。

「……来たっ」

 ハルが瞼(まぶた)を見開き、小さな叫び声を上げるのと同時だった。今日、最初の叫び声が、太陽の強烈な日差しを押し戻すように、広島の空を高く駆け上がっていった。

 ステージの上に登場した長い黒髪の歌姫は、初っ端に、かの有名なマリーゴールドを見事に歌い上げていた。夏の青空に揺れる甘い恋の世界観を、この公園にいる人間へ、余すことなく届けていた。

 麦わら帽子を頭に載せたハルは、その世界観に浸り、長いまつ毛をいつまでも揺らしていた。

 

 

 

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 マリーゴールド。いい歌ですよね。

 いまだに色褪せない。

 

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