言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-②】

 

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3.芸術は変わらない-The spring is far-②

 

 島猫亭(しまねこてい)は隔週月曜日が定休日らしい。

 ナツが曲島(くましま)へやってきてちょうど一週間が経った。カフェが定休日と言っても、働く人が完全な休みなわけではなかった。ハルの父――真司(しんじ)はパソコンを使って店の売り上げ計算や、足りない備品の個数を確認し、発注作業を進めていた。

 ハルの母――円華(まどか)はいつも通り厨房に引きこもり、大きな鍋の前に立ち、手間がかかる料理の下準備を行っていた。スープの煮込みや魚介類の味付けなどだ。

 ナツは、飲食店の人たちは一体いつ身体を休めているのだろうと思った。真司に聞いてみると、「夕食の予約がない日は、午後から休めるよ。最近はほとんどないけどね。でもまぁ、一週間に一度は、円華と交代で午前中を休むようにしてるよ」と笑いながら答えていた。

 ナツとハルはこの日、本来であればカフェの仕事を休むことができたが、

「ツアー団体客の観光補助?」

 真司から突然のお願いを受けた。

「あぁ。この曲島には、飲食店やカフェ、ホテルなどが共同で入る観光組合があってね。それに入れば、店のいろいろな広告をインターネットや雑誌に掲載できる代わりに、ボランティアを要請されるんだ。我々が今日、要請を受けたのは、曲島観光ツアーの補助。それにハルと二人で行ってほしいんだ」

 観光客が多い町はいろいろあるんだなとナツは思った。と同時に、仕事と言うのは、いろいろな報酬を得る代わりに、自分の時間を提供して、うまく成り立っているんだなということを理解した。

「集合場所は、渚の駅・曲島だよ。十時だって」とハルがボランティアの内容が書かれた紙をひらひらさせながら教えてくれた。

 ユースホテルの仕事も今日は休みだったが、ナツは少し遅い朝食を終えると、白いポロシャツとハーフパンツに着替えて準備をした。

 玄関を出ると、焼けるような日差しがナツの全身を貫いた。白熱した太陽。雲一つない青空。無風。テレビで見るような、まさに南国リゾートの夏という感じだった。

 額に手をかざしながらスマホを取り出し、曲島周辺の天気を検索すると、最高気温は三十六度猛暑日だ。

「うわぁ。いい天気だね」

 後ろでハルは喜びと苦しさが織り交ざった声を上げていた。今日のハルは、小さなひまわりの装飾が乗っかった麦わら帽子を被っていた。帽子の隙間から栗色の髪が飛び出し、肩を撫でている。花柄の襟付きシャツを纏(まと)い、海の色を薄めたデニムスカートを穿(は)いていた。

「さ、行こ」

 カフェの前にいた白猫のシロと、黒猫のクロが頑張れと励ますように鳴き声を上げていた。

 

 

 最終日のツアー団体客を補助するらしい。ボランティアの内容は、バスの出発時間の点呼や場所の案内など、簡単なものだった。十時に渚の駅をバスで出発して、曲島の美術館を回り、隣接するホテルで昼食を取る。その後、海辺を少し散策し、バスの出発時間まで自由時間。そんな行程だった。

 ツアーの参加者は十五名程度。その中に何故か玲子もいた。ツアー会社と交渉して、参加させてもらったらしい。

「よく会いますね」ナツが苦笑した。

「それほど、島猫亭がこの島に関わりがあるってことでしょう」玲子は髪をかき上げながらバスに乗り込み、一番後ろの席へ座った。

 玲子はあと五日ほど、この島に滞在するらしい。島猫亭で直接取材をすることもあるが、曲島の中をいろいろと回りながら、島猫亭と島の関係について住民から聞き取り回っているらしい。ということを、ハルから聞いた。

「おれ、玲子さん、苦手なんだよな。なんと言うか、全部見透かされると言うか……」

「悪い人じゃないよ」ハルが優しく微笑んだ。「裏表がないって言うのかな。うまく言えないけど。わたしには、なんとなくわかる」

 ハルが言うなら、とナツは無理やり納得していたが、あの明け透けな物言いは、やはり距離を置きたくなる。

 玲子は移動するバスから、真っ青な空の色を映した海を伏し目がちに眺めていた。見た目は完璧なのにな、とナツは反対側の席から、窓の外を眺める玲子の横顔をこっそりと見つめる。

 美術館にバスが到着した。ツアー客は駐車所へ足を下ろし、ぞろぞろと建物へ向かう。アスファルトの激しい照り返しに目を細めながら、ナツもバスから降りた。足元からゆで上がるような熱気が島全体を覆っているようだった。

 アーティストハウス・ミュージアム。「離島・建築・アートの共生」をコンセプトに、何やら有名な建築が設計した美術館らしい。曲島にある二つの美術館の内の一つだ。

 地域に根差しているところが、どことなく島猫亭のコンセプトに似ていた。

 山を切り取ったような丘の上まで、白いコンクリートブロック張りの階段がまっすぐ伸びていた。階段の先には、石積みのような化粧を施した薄い壁が並ぶように立っている。この建物の外観自体が、既にアートのようだった。

 この施設内だけではなく、近くの浜辺や森の中、草原の上など、場所にこだわらないアート作品が点在している。と、美術館のパンフレットに書いてあった。階段の外側は緑色の芝生が広がっていたが、大きな石や小さな石を並べたものや、二つの電信柱を斜めにしてクロスさせたような作品などが、やや遠くの方に見えた。

 とりあえず、ナツは建物の写真をスマホに収める。ちょうどその時、階段の前で、たまたま玲子がこちらを向いている写真が撮れた。至極、自然な写真だった。

 美術館の外観も、前衛的で近未来的な形をしていたので、まさに美女が異世界に辿り着いた、そんな構図だった。

 ちょうど良かったと思い、ナツはすぐさまアキに送信する。『約束の写真』とメッセージを添えて。あいつはまだ布団の中だろうな、と思ってスマホをポケットにしまおうとした瞬間、手の平の中でスマホが震えた。

 アキだ。いつもは既読になることすら遅いアキから、電話がかかってきた。

『お前、なんで冬田玲子と一緒にいるんだよ!』

 開口一番、アキが声を張り上げた。その声には歓喜と不満と焦燥の色が混ざっていて、ナツは一瞬、戸惑った。

「は?」どうしてアキがその名前を知っている。

『お前が今送ってくれた写真。写真を拡大したらよ、目ん玉、飛び出たわ。お前のスマホ、無駄に画質だけはいいからよ。きれいな身体の曲線美も、ばっちりよ。髪の色は昔と全然違うけど、この瞳と体形。間違いない。冬田玲子だろ?』

 興奮して早口でまくし立てるアキに、ナツは頭の思考が追い付かなかった。玲子は記者だ。雑誌か何かに写真が載っていたのを、アキがたまたま見ていて、知っていたのだろうか。

 そんなふうに考えていたが、どうやら違うようだ。アキが少し落ち着いた口調で話し始める。

『俺がよくユーチューブで見てる、プラスボイスってグループのメンバーだったんだ。いろいろな歌をカバーするのがメインだけど、冬田玲子は、自分で作詞・作曲もしててよ。動画も結構アップしてたんだわ。アコースティックギターを片手に弾き語りをするその姿には、冬の女神っていう異名があってよ』

「そんなセンスのない異名なのかよ」

『いや、俺が勝手につけた』

 お前かよ。と心の中でツッコミを入れ、ナツは大きな息を吐き出した。バイト初日のあの夜、島猫亭で聴いた歌声を思い出す。玲子の唇から紡がれる歌がプロ並みにうまかったのは、そのためか。

 スマホを耳にくっつけたまま、ナツは玲子の姿を探す。気が付くと、バスから降りた人たちは既に、美術館の入口へ吸い込まれるように消えていく。最後尾にいた麦わら帽子のハルが、階段の上からナツの方を向いて、早く来てと言っているように手を振っている。

『あとで、URL送るわ。見てくれ』

「わかった」

『……ところで、ナツ』

「ん?」

 電話の奥でアキがもごもごと言葉を転がしている。歯切れが悪い。

『……ちょっと相談があるんだけど』

 そこまで聞いたとき、美術館の前で、何やらもめているのが目に入った。ハルが誰かに何かを言われている。年配のおじさんに見えた。ハルが小さな身体を折り曲げて、頭を下げている。

「すまん、今バイト中なんだ。ちょっと一旦、切るわ」

 アキとの話の途中だったが、ナツはスマホをポケットに突っ込んで、階段を急ぎ足で踏み込み、ハルの元へ駆け上がった。

 

 

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 モデルとしているのは、ここです。

 

 

 直島のベネッセハウス・ミュージアム

 1992年に開館した、「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに、安藤忠雄が設計した美術館とホテルが一体となった施設です。

 館内には収蔵作品に加え、アーティストがその場所のために制作したサイトスペシフィック・ワークが恒久設置されています。アーティストは自ら場所を選び、作品を制作しています。作品は展示スペースにとどまらず、館内のいたるところに設置され、施設をとりまく海岸線や林の中にも点在しています。 館内だけでなく、瀬戸内の豊かな自然があふれる周辺を散策しながら思わぬ作品に出会うこともこの施設の楽しみ方の一つです。

benesse-artsite.jp

 

 直島には大きな美術館が三つあるのですが、その内の一つです。直島の美術館は、そのどれもが素晴らしい場所で、「日本で生きているうちに行ってほしい場所はどこですか?」と聞かれたら、私は直島を勧めます。

 美術館の他にも、家プロジェクトと言って、廃屋をアートに仕立て上げた芸術も島内に点在していて、本当に島全体が一つの美術館のように素晴らしい場所なのです。

 この物語ではそこまで描きませんが、現実の直島は本当に素晴らしいところです。

 

 ジブリ映画の『耳をすませば』ではありませんが、「物語が始まる気がする!」ような気分になりますよ。

 

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