言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-①】

 

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3.芸術は変わらない-The spring is far-①

 

『ハルちゃんの写真、まだ?』

 アキから電話がかかってきたのは、ナツがバイトを始めて四日目の夕方だった。

 この日、島猫亭(しまねこてい)は夕方の予約がいっぱいだった。そのため、ナツは店内を右往左往していた。

 バイトの作業も、だいぶ慣れてきたところだった。昼前のユースホテルの清掃をすまし、カフェに戻ってくる。ランチタイムの接客を手伝い、料理に使用する肉や野菜、果物、飲み物の買い出しに向かった。今日は結構な量で、ナツの足のこともあったので、自転車ではなく、ハルと一緒にバスを使った。カフェの近くから市場まで、バスが走っている。

「曲島のバスは、美術館とか、キャンプ場とか、観光スポットは一通り回るようになってるんだよ」とハルがバスの中で教えてくれた。

 ハルと他愛のない会話をバスの中でして、両手いっぱいのビニール袋を店に持ち帰る。その後は、お客さんの人数に合わせて、店内のテーブルや席を移動させた。また、席次表の作成など、事務的な作業もした。ハルと一緒に作業を分担し、汗を流しながら駆け回っていた。

 ようやく玄関先の小段に、ハルと並んで座りながら、ペットボトルのお茶を飲んで、一息ついていたところだった。スマホが震えて、藤堂秋の名前が画面に表示されていた。

 ナツは頭を抱えたが、ハルは興味津々な顔で、目を大きくしていた。どうやらアキと話がしたいらしい。

「余計なこと、言うんじゃねぇぞ」とナツはアキに電話で念押しした。

「聞かれてまずいことでも、あるの?」とハルは微笑みを浮かべながら、ナツのスマホを手に取り、アキと会話を始める。

「初めまして、アキ君。一ノ瀬心晴(いちのせこはる)です。いつも、動画見てるよ」

 電話の奥から、何やら歓喜するアキの声が聞こえた。ハルが舌を見せながら笑う。

「うん。あ、ナツはちゃんと仕事してるよ。え? そうなの? それは知らなかった。あとで聞いてみるね。うん。うん。……うーん。わたしは、いないかな。アキ君はなんか、見た目だけはかっこいいってナツから聞いたけど、そういう話、ないの?」

 アキの声は電話から聞こえないが、ハルの言葉を聞いて、ナツは眉をひそめた。

 あいつ、しれっと、すごい重要なことをハルに聞いていないか?

「おい、アキ」ナツはハルが握り締めたスマホに声をぶつける。

「あ、なんか、ナツが怒ってる!」ハルが笑い声を上げる。「え? わたしの写真? それは駄目だなぁ。あ、そうだ。今ね、わたしのカフェに、すっごい美人の女の人が来てるんだよ。その人の写真、欲しくない?」

 ハルは玲子のことを言ってるらしい。その写真は一体誰が撮影するんだとナツがため息をついたところで、ハルがスマホを差し出した。

「はい。アキ君が話をしたいって」ハルは満足げな顔をして、えくぼを咲かせている。

『ハルちゃんは、お前よりも交渉が上手だな。あと、あの声は反則だわ』

「なんのことだよ。って言うか、お前、ハルに何を聞いたんだ?」

『聞きたければ、ハルちゃんが言っていたすっごい美人の写真と、美術館の写真をプリーズ』

 ナツはスマホの通話終了ボタンを押した。

 隣ではハルが微笑ましそうに両手を頬に添えながら、二人のやり取りを見ていた。

「ナツとアキ君、本当に仲がいいんだね。いつから仲いいの?」

「あいつとは、高校入ってすぐ、知り合った」

 ナツはスマホをポケットに突っ込むかわりに、アキと出会った時のことを記憶から引っ張り出した。

「おれもアキも、高校では映画研究部って言って、まぁ、ほとんど帰宅部みたいなとこだけど。そこで知り合った。あいつは、中学生の頃から、いろいろ動画を作ってたらしいから、結構、真面目に活動してたけどな」

「アキ君は真面目にって、ナツは幽霊部員ってこと? 中学校の頃は陸上部だったんでしょう? それで足を痛めちゃったとか、さっき、バスの中で言ってたよね」

「まぁ、その話はいいよ。ハルだって、仲のいい友達の一人くらい、いるだろ? 部活は?」

「わたしは中学校の終わりに、北海道からこっちに来たから、ナツとアキ君みたいな仲いい人、こっちにはいないんだ」

 心なしか、ハルの頬に影が差した気がした。寂しそうな表情だった。その顔を見て、ナツは胸が少しだけ締め付けられるように痛んだ。

 今日の空は曇り空だった。分厚い雲と薄い雲が交互に流れ、二人の座る玄関に濃淡の影を残していく。ハルがお茶を口に含みながら、話を続ける。

「高校に入ってからは、この島猫亭の手伝いもあったから、授業が終わったらすぐ帰るようにしてるの。高校、岡山県にある市立だから、フェリー使うし、通学に時間もかかるんだ。だから、部活やってる時間もなくて」

「そうなんだ……」

 ハルに会うまで、離島での暮らしが、ナツにはあまり想像ができなかった。学校へ通うこと。食料を調達すること。どこかへ友達と遊びに行くこと。部活をすること。よくよく考えたら、普通の街に住むことより、何倍も大変なことがたくさんある。ナツは北海道から突然、この曲島(くましま)へやってきて、日常から解放されて自由だと軽く考えていた。でも、ハルにとっては、ここがすでに日常なのだ。ナツの日常とハルの日常には、大きな距離があることを、今更ながら思い知った。

 それでも、ナツはバイト四日目にしてようやく、ハルの高校生活の片鱗に少しだけ触れることができて、嬉しい気持ちになった。このまま、いろいろと話を聞きたいと思ったが、

「アキ君、ナツがいなくて寂しいんだよ」わたしの話は終わり、という感じでハルが立ち上がり、短パンについた砂埃を払っている。「ここ数日の動画見てたら、退屈だなって言うのが、よくわかるよ。アキ君の動画って、うまく言えないけど、なんだか感情に訴えるよね」

「おれはそういうふうに感じたことはないけど」

「わたしには、そう見えるよ。目を閉じれば、ナツとアキ君がバカやってるのが、瞼の裏に浮かぶもん」

「そこまでの想像力は、おれにはないな。って、いつもバカやってるわけじゃないからな」

 ナツは苦笑しながらも、ふと考えた。そういえば自分は、アキの動画の何が楽しかったのだろうか。

 アキの動画での話し方とか、高校のつまらない生活に皮肉を交えた話題を見たり聞いたりしながら、どこに楽しさを覚えていたのだろうか。振り返ってみると、嬉しさ、楽しさ、不満、うっぷん、そういう一時的な感情が続いていただけのように思う。悪く言えば、変化がないこと。日常の変わらないものだ。

 ――なんか最近さ。つまらないんだよな。あいつの動画。うまく言えねーけど。狭苦しいって言うかさ。

 学校祭の時、浩介が呟いた言葉を思い出した。

 曲島にやってきて、アキから、高校の日常から離れてみると、ナツは複雑な気持ちになった。アキの作る動画は、昔からすごいと思っている。でも、何がすごいのか。ナツにとって、何が胸に響いているのか。

 そこまで考えて、「あ!」と思い出した。ハルと学校祭のときのイノベーションについて語り合うことをすっかり忘れていた。そもそも、そのためにこの曲島へやって来たというのに。あれこそ、感情に訴える作品だった。ハルにはどう見えたのだろうか。とナツは立ち上がって聞こうとしたら、

「あ、ねぇねぇ。アキ君が言ってたんだけど、トモコちゃんって、可愛かったの? どんな子?」

 突然ハルが、好奇心丸出しの瞳をナツに投げかけてきた。トモコとは、高校二年生の時に、ナツの隣の席に座っていたクラスメートだ。ナツがちょっといいなと思っていた女の子だった。

 アキのやつ、余計なことを!

「どんな子って……」

 去年、トモコと席を並べていた日々のことを、ナツは頭の中にぼんやりと思い浮かべる。背が小さくて、髪の毛が肩くらいで、笑顔が花のように可愛くて、明るくて、話しやすくて、まるで目の前のハルのような……。

 ハルをちらりと見ながら、ナツは頭を振った。

「ねぇ、どんな人だったのー?」

「……教えない!」

 ナツは玄関の扉を開け、カフェの中に逃げ込んだ。後ろで「えー、教えてよー」とハルが不満そうな声を上げていた。

 店内に入ると、空気が少しひんやりとした。外でハルと話をしているうちに熱くなっていた頭へ、ひとかけらの氷を押し付けられたようだった。

 ハルの母――名前は一ノ瀬円華(いちのせまどか)――が困ったような顔をして、店のカウンター奥にある電話の受話器を置いていた。すぐ隣に、真面目な顔をしたハルの父――真司(しんじ)が立っていた。

「どうしたんですか?」とナツが尋ねる。

「いや、ちょっと、トラブルがあってね」真司が心配しなくていいと呟きながら、小さくため息をついた。

「今日の夜、予約なしで夕食をしたいというお客様がいたのよ」

 円華が肩をすくめる。いつも厨房で黙々と料理を作っているので、声を聞くのは初めてだった。ハルの声にとても似ていた。

「島猫亭の夕食は完全予約制なので申し訳ないですけど、と伝えたらね、突然、怒り出して。声を張り上げて、『俺は客だぞ! 席くらい用意しろ』って怒鳴られて、電話を切られたわ」

 ナツは嫌悪感が沸騰したお湯のように沸いてくるのを感じた。「ひどいですね」

「この島に観光客が増えてからは、そんな客が、ぼちぼち増えてきたかな」と真司が悲しそうな目をしている。「島猫亭は、お客様の要望と言えど、先に予約をしたお客様を、裏切ることはできないからね」

 突然、自分の都合で怒り出す人間。自分がいつも正しいと思っている人間。ふとした拍子に誰かを簡単に傷つける人間。そんな人間たちが、ナツは大嫌いだった。

 別に正義感をかざしているわけではないし、ナツ自身、想像力があるわけでもない。でも、もう少し他人のいる場所や心の内を、しっかりと眺めて、読み取れないのかと思った。

 ナツは受話器を見ながら、見えない客の姿に、心の中で舌打ちをした。

 

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