言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫⑤】

 

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1.少女と猫⑤

 

 

「小学校の卒アルと、雰囲気が全然違う」

 小学校の頃よりも断然、可愛くなっている。という言葉を、ナツは喉の奥へ飲み込んだ。

 自転車を押して歩くナツの右側に、ハルが歩く。太陽が傾く坂道のアスファルトを、二人は足を踏みしめながら登っていた。

「……そうかな?」ハルは切りそろえた前髪を三日月に似た眉尻の上でくるくると弄んだ。「ナツこそ、こんなに背が高かったんだね。何センチ?」

「百七十三だよ。おれが大きいんじゃなくて、ハルが小さいんだと思う」

「あ、そっかー。そうだよね」

 ハルは笑うと、左頬に片方えくぼができた。八重歯も特徴的だった。それがハルの可愛らしさを更に引き立てていた。

 さっき鼻をくすぐった香りは、どうやらハルの香水か何かのようだった。ハルの髪が揺れるたびに、ふわりと漂った。

「本当に、猫のような女の子だな」

 ナツは思わず笑ってしまった。ほぼ六年ぶりに再会したハルに対する第一印象は、まさにそれだった。

 ハルが不服そうに口を尖らせていた。

「どういう意味ですかー」

 つい、本音が声に出てしまっていたらしい。慌ててナツは口をつぐんだ。

 なんだろう。この懐かしい感じ。

 ハルと話していると、心が落ち着いた。

 夕陽に焼かれた坂道をしばらく登ると、右手に大きな池が広がった。深緑の木々に囲まれて、すっぽりと山の中に収まっている。ガードレール越しに見える池は、太陽の光を受けて淡白く輝いていた。

 目を凝らして見下ろしていると、水面が何やら動き始めた。なんだろうと思って、ナツは自転車を押して、池に近づいた。歩道からはコンクリートブロックの壁が池に向かって伸びていた。波紋があちこちに広がり、池に反射した光が乱れる。

「何? あれ」身を乗り出して覗き込むと、水面から首と足を出してじたばたしている生き物が見えた。「……亀?」

「この池には亀がたくさんいるの。人に慣れてて、こうやって人が覗き込むと、集まってくるの」

 わたしも初めてこの島に来たとき、びっくりしたと説明してくれる。

 次から次へと集まってくる亀の様子を、二人はしばらく黙って眺めていた。しまいには、寄ってきた亀の上を更に亀が乗り上がり、じたばたとコンクリートブロックの壁を登ろうとしていた。やがて、どちらからともなく歩き始める。

「ハルの名前の心晴(こはる)って、珍しい漢字使ってるよな」

「うん。普通、小春日和(こはるびより)とかの小春で、小さい春を想像するよね」

 ハルは人差し指を、蝶のようにひらひらさせている。小春と宙に描いているのだろう。

 自由な振る舞いも、まるで猫のようだった。今度は声には出さなかった。

 坂道が終わり、海が見渡せる場所へやってきた。

 曲島の北側を見下ろすことが出来た。遠くに、岡山県の山脈がうっすらと見える。

 海の上には、いくつもの船が浮かんでいる。背後には船が残した白い波がまっすぐ伸びていた。

 ナツも海の街に住んでいたが、北海道と瀬戸内の海は、雰囲気が随分と違った。

 船の他に、たくさんの島が点々としている。海そのものが青い平原のようで、小高い丘があちこちにあるようだった。海の上をそのまま歩いて、島へ行くことができるような気がした。

「こっちだよ」

 ハルが手招きをする。ハルは狭い石垣の間へ身を翻し、吸い込まれるように消えていく。ナツは自転車を押して、あわてて後を追った。

 平屋が立ち並ぶ小さな路地裏には、数匹の猫がナツを待ち構えていた。穴の空いたドラム缶の上で日光浴をしている白猫。自分の前足を優雅に舌で舐めていた。毛並みが艶(つや)やかで、まるで貴族のようだった。ドラム缶の中で、エメラルド色の瞳を光らせる黒猫もいた。ナツと目が合うと、鋭い鳴き声を上げて威嚇したので、ナツは目を逸らした。さっきフェリー乗り場で見かけた三毛猫は、ここにはいなかった。

 ハルを追って、ナツはゆっくりと進んでいく。平屋は黒塗りの石瓦がほとんどだった。軒下には雨どいがある。その中を歩くたびに、家の前に置かれた色とりどりの花がナツの視界を流れていく。北海道ではほとんど見かけない光景に、ナツは心が躍った。

 路地の突き当りまでやってくると、ハルが立ち止まった。

「ここがわたしの家。そして、ナツに働いてもらう場所だよ」

 ハルの家は二階建てだった。曲島を見下ろすかのように、それはそびえたっていた。

 さっきまで立ち並んでいた平屋とは、まるで雰囲気が違った。ナツは見上げながら、大きく息を吸い込んだ。

 家の壁はリフォームしたばかりなのか、さっき見た白猫のように、汚れ一つなかった。淡いクリーム色をしていた。壁の前には、小さなランプとか、古びた自転車とか、木製の箱とか、よくわからないブリキ製の何かとかが、まるで子供の遊び場のように並べられていた。雑然としている様子は、全くなかった。並べ方なのか、色合いなのか、ある種の芸術性を感じた。

 やってきたものを迎える玄関には庇(ひさし)があった。それを支える二つの真っ白な石柱が脇に並ぶ。石柱に挟まれた中央には、ガラス張りの扉が構えられていた。扉の右には、ハルの背丈ほどの見たこともない観葉植物が飾られている。

……まるで、異国のようだ。

 ナツは思った。この建物の中に入れば、曲島とはまた違った異世界に、足を踏み入れるような気がした。

 扉には木をくりぬいた小さな看板がぶら下がっている。ウェルカムと英語表記で書かれていた。

 香ばしい匂いが鼻をついた。パンを焼く匂いだろうか。ナツはお腹が鳴る音が今にも聞こえてきそうだった。

 異世界に続く扉の前で、ハルが振り返る。小さな首を傾げて、微笑みをこぼした。栗色の髪がふわりと舞う。

「ようこそ。カフェ、島猫亭(しまねこてい)へ」

 

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 第一話終わりました。物語はここから始まります。

 

 結末は決めているとは言え、途中の構成は物語を書きながら考えています。矛盾しないように書いていきますが、あとから見返してみると、ちょくちょく「ここでこのキャラはこんなこと言わんだろ」みたいなのが出てきそうです。誤字やら脱字やらも、既にたくさん。

 校正しつつ、物語を紡いでいきます。ご了承ください。