言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫①】

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  1.少女と猫①

 

 将来について楽観的な答えを見つけると、人は満足してしまう。

 仙田夏雄(せんだなつお)、とスマホに自分の名前を入力したところで、なんとなくナツは思った。

 これから先のことを深く考えるほど、自分は長く生きていない。かと言って、楽観視できるほど、子供でもない。

 それなのに、先生から配られた進路希望の紙は、制服のポケットに突っ込んだせいで皺が寄っていて、ぐしゃぐしゃのまま、机の上に投げ出されている。

 ナツは自分の部屋のベッドに身体を投げ出していた。膝より先は、ぶらぶらと宙に揺れていた。チラリと瞳を机に向けたが、すぐに手元へ戻す。

 まるで新しいペットを飼い始めたように、ナツの手つきはぎこちなかった。

 左手でスマホを持ちながら、右手で犬や猫の頭でも撫でるように指を動かす。

 タップ。フリック。スワイプ。ピンチ。

 ……ピンチ?

 ナツはスマホの扱い方について説明書を睨みながら、悪戦苦闘していた。

 なぜなら、高校三年生の夏になって初めて、ガラケーから念願のスマホに機種変更したからだ。

 画面に触れ、指先で軽く弾いてみる。これがフリック。

 ペットをあやすような扱いだな。そう思いながら、ナツは鼻から息を短く吐き出した。

 ようやく初期設定が終わった。インストールしたてのラインをぎこちなく操作しながら、ナツは画面をタップしていく。

 知り合いかも? と、ホーム画面に表示されたところをタップすると、よく知った友人の名前がずらりと並んだ。ガラケーのアドレス帳に入れてあった番号たちだ。

 とりあえず、親友の名前を探す。二回くらい指を弾いたところで藤原秋(ふじわらあき)――アキの名前が見つかった。

『ついにライン始めた』

 と短いメッセージを打って、送信してみた。すぐに既読になり、返信が来る。

『ようやくナツも時代に追いついたな』

 アキからメッセージが届くと同時に、鼻水を垂らした子供の画像がぶら下がるようにくっついてきた。これがスタンプというやつか?

 ナツは思わずニヤリとした。Eメールと使い勝手が全然違う。日本全国みんなで使うわけだ。

 高校のクラスメートはナツ以外、全員がスマホを持っていた。ナツは小学生の頃から、父のお古だったガラケーをずっと使っていた。ガラケーでのメール交換に、ナツ自身は特に不便を感じなかったのだが、周りはそうでもなかった。

『別に時代遅れじゃねーよ』

 本当なら、高校になってすぐ、スマホにする約束だったのだ。でも、それは事情によって流れた。ナツはそのままガラケー高校デビューしたが、まるで昭和世代の子供と馬鹿にされた。

 ここにきて、ようやくスマホを持てたのは、夏休みにバイトをするから、機種購入費用は自分で払うという約束を父と取り付けたからだ。

 でも、ここで大問題がひとつあった。

 バイトが決まっていないということだ。

「夏雄はまた約束を破るのか。計画性がまるでないなぁ」

 と、昨日、父に笑われたばかりだった。

 はやくなんとかしないと、と心の中では思っていても、ナツは新しく入手したばかりのスマホに、どんどんとアプリをインストールしていく。

 ユーチューブのアプリを起動する。すぐさま、ラインと同じようにアキの名前を探す。

 検索すると、藤堂秋と表示されたチャンネルがトップに来た。チャンネル登録数は九百人程度。ナツの高校はざっと千人くらいの生徒がいるから、高校ほぼ全ての生徒が登録していると考えると、結構な数だ。クリックすると、『1時間前』とタグ付けされた動画を先頭に、たくさんの動画が表示された。

異世界の青春チャンネル』

 いつ見ても、中二病的なタイトルのチャンネルだ。ナツは鼻で笑った。

 今日の動画は、期末試験の結果について、うっぷんを晴らす内容だった。アキの声がスマホから聞こえる。

「ハイ皆さん、今晩は。昨日はですね、期末テストに出た、数学の問題。これについて、うっぷんを晴らしていこうと思います。よろしくお願いします。まずはね、積分? 積分で面積を出せって?」

 いつもながら、話し方がうまい。話題の流れもスムーズだ。八分の再生時間が、あっという間に過ぎていく。

 動画を見終わると、未読メッセージが4件になっていた。アキが連投していた。

『来週末には学校祭だな。最後の』

『俺、そこで大型動画を公開する予定』

『この前、五組の女にコクられたさ。タイプっちゃタイプなんだけど。返事、どーしよ』

『ナツは彼女、作んねーの?』

 彼女、か。

 ナツにも中学三年生の時は、彼女がいた。大人しくて、誠実で、そこそこ可愛かった。高校は別々だった。お互いにいつの間にか連絡しなくなり、自然消滅のような形で、会わなくなった。

 高校二年生の時には、隣の席にちょっと気になる子がいたけど、特に進展も無かった。別に興味がないわけじゃない。ただなんとなく、高校生の生活の中に、異性というものを組み込みたくなかったのだ。

 他の友人にもラインを始めたことを伝えたくて、画面をスクロールする。ナツの指に合せて、画面が滑り、文字が流れていく。この感覚は新鮮だった。

 ふとナツは指を止めた。

 見慣れない名前が、目に飛び込んできたからだ。

 一之瀬心晴。

……誰だ?

 今のクラスに一之瀬、という苗字の人はいなかった。名前はコハル、だろうか。

 中学校の時にも、いなかったはずだ。

 ん? 待てよ。

 ナツはベッドから起き上がり、机の引き出しから小学校の卒業アルバムを手に取った。ズシリと重みがあった。

 少し日焼けした表紙をめくると、クラス全体の集合写真があった。知り合いの幼い顔に、ナツは懐かしさがこみ上げる。更に三ページほどめくったところで、六年二組の集合写真が収められていた。

「……いた」

 ナツは呟きながら、一ノ瀬心晴の写真に目を落とす。

 黒髪でおかっぱ。目がやや猫のように吊り上がっている。クラスで目立っていたわけではなかったけど、確か、学級委員長をやっていたはずだ。

 でも、積極的に彼女と話をしたという記憶はない。なのにどうして、電話番号を知っていたのだろう。

 写真の中の彼女は、ぼんやりとした瞳でナツを見つめていた。特に語りかけてくるわけでもない。

 何か、他に記憶を呼び覚ますようなヒントがないかと思い、アルバムのページをめくっていく。思い出の修学旅行、運動会、クラブ活動などの写真がナツの記憶をくすぐり、指先で通り過ぎていく。

 寄せ書きの見開きページになり、ナツはページをめくる指を止めた。色とりどりのマジックで書かれたメッセージが、ナツの目の中に飛び込んできた。

 その中でひと際、大きくて太い文字で書かれた自分のメッセージを見つけた。

 

 おれは口が固いということを証明する!!

 

「あ」

 思い出した。記憶が溢れるほど詰まった脳という浴槽の中に、そのメッセージが入浴剤のように突っ込まれる。その浴槽から血液と酸素があふれ出して、過去の記憶と共に全身を勢いよく駆け巡った。

 卒業式の時、同級生全員の電話番号を聞いて、ガラケーに登録したんだった。その中に、一之瀬心晴の番号も含まれていて、たまたま消さずに残っていただけか。

 小学校の頃、一ノ瀬心晴と、ある約束を交わしていたことを思い出した。今思えば、幼なくて取るに足らない約束だ。その約束が達成出来たら、いつか絶対に連絡すると。でも、それはすっかりナツの記憶から遠ざかっていた。

 卒業してから、ずっと連絡は取っていない。そもそも彼女が今、どこにいるのか、それすらも知らない。

 ナツは卒業アルバムを閉じ、ベッドの上に放り投げた。机の椅子に座り、スマホを握る。頭で考える前に、指が動いていた。

『仙田夏雄です。小学校の頃、同しクラスでした。高校三年生にしてようやくスマホにしました。一之瀬さんは、元気?』

 送信ボタンを押した。緑色の吹き出しの中に、ナツの打った文章が表示された。

 ……なんだ、このぎこちないメッセージは。っていうか、何でおれはメッセージを送ったんだ?

 顔が火照る。手のひらに汗がにじむ。胃の中が熱くなった。送信してから急に恥ずかしい気持ちが湧き出てきた。ナツは頭を振り、送信を取消そうとしたが、既に遅かった。

 既読になった。たまたまラインを開いていたのかもしれない。

 コチ、コチ、と壁時計の針が動く。

 ナツは机の椅子に座りながら、じっと待っていた。十分くらい、そのまま黙っていた。でも、何も反応がなかった。それっきりだった。

 当然か。六年近くも会ってない同級生から急にメッセージが来ても、困るよな。

 ナツは机の上にスマホを置く。進路希望の紙はそのままにしようかと迷ったけど、引き出しの中にアルバムと一緒にしまった。スマホを充電器に差し、電気を消して、ベッドに潜り込んだ。

 一之瀬心晴と、特に連絡を取ってみたかったというわけではない。かと言って、絶対に連絡するという約束を守りかったわけでもない。

 小学校の幼い自分が結んだ口約束を、消化したかっただけだ。過去の出来事を、今の時間になんとなく引っ張り出してきただけ。卒業アルバムをなんとなく見返して過去を懐かしむような、そんな気持ちだ。ナツは自分に言い聞かせる。

 人って本当に、誰かと顔を合せなくなった途端に、思い出すまで、その人のことを考えなくなるんだな。

 ベッドの中で薄暗い天井を見つめながら、ナツは静かに息を吐き出した。まぶたを閉じる。

 ナツは自分に限って、そんなことは絶対に無いと考えていた。でも、事実、一ノ瀬心晴のことを、過去の記憶の中にいた人だったと、さっきまで消去してしまっていた。

 その事実を単に、認めたくなかっただけなのかもしれない。ナツは薄れゆく意識の中、考えていた。

 

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