言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

☆010.庶民は盛ってる暇なんて無い!

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「高梨さんには、この仕事を担当してもらいますから」

 出向先の上司である中西部長が書類をテーブルの上に置きながら、高梨真一に説明する。

 真一はこの4月から、これまで勤めていた中堅ハウスメーカーを離れた。都市計画に関する仕事を行う財団法人へ出向している。

「一言で表すなら、まちづくりに関する研究、ですね。いろんな委員会があるので、専門家の発言や意見を聞いて、まちづくりに貢献する。そんな感じです」

「はぁ……」

 高梨は建築関係の仕事一筋だったので、都市計画の知識はほぼ無かった。大学の時に授業で何個か単位を取ったことはあるが、内容はほとんど忘れていた。

「まぁ、仕事はやりながら、ですね。パソコンのデータの中に去年までの仕事の成果が入っていますので、それをなんとなく眺めておいて下さい」

「はい。それでは、当面は何をすればいいでしょうか?」

「仕事は本格的に始まるのが、6月からなんだよね。それまでは特に。この職場の雰囲気に、早く慣れてもらえたら……」

 真一は思わず、目を見開いた。なんだって?

「……仕事は、この一つの業務だけですか?」

「そうです」

 なんだって? 心の中で二度聞き返す。

 出向する前は、余力があればあるだけの仕事をさせられていたと言うのに。この差は一体、どこから生まれてくるんだろうか。

 中西部長との会議を終え、真一は自席に戻った。パソコンの画面はスクリーンセーバー状態になっていた。幾何学模様がくるくると回っている。マウスを動かすと、デスクトップ画面に切り替わった。ショートカットアイコンが全くなく、殺風景な画面だった。

 部長がコーヒーを片手に、自席に戻るのが見えた。「よーし、今日の仕事は午前中に片付けるか!」と声を上げている。

 なんだろう。この感じ。

 殺伐とした空気は、何一つない。

 目の前の職員に視線を向けると、頬杖をつきながら、カチカチとマウスをクリックしている。

 この場所は、納期に迫られて目を血走らせる人や、パソコンのキーボードを連打する人や、受話器を持ちながら頭を抱える人とは、全く縁がなさそうだった。

 世の中は、人手不足だと言っているのに、この差は一体、なんなのだろうか。

 真一もコーヒーでも買おうと、席を立った。財布の小銭を確認しながら、自動販売機の前に立つ。

 先客がいた。まだ20代半ばくらいの若者だった。真一に気づき、軽く会釈をする。

「高梨さん、でしたよね?」

「あぁ、はい。そうです」真一はぎこちなく返事をする。初対面の人には、年下であっても、敬語を使ってしまう。

「自分、下村です。下村圭司。高梨さんと同じく、出向者です」

「あ、そう、なんですか?」

「はい。高梨さんの席からは離れていますけど、同じ企画広報部です。わからないことがあれば、いろいろと聞いてください」

「ありがとう」

 砂糖、ミルクたっぷりのコーヒーを自動販売機から取り出した下村は、笑顔で席に戻っていった。

 高梨は自動販売機の前に立つ。コーヒーは二種類あった。濃い目のブラックコーヒーを選ぶ。コーヒー豆をミルで砕いている音が、機械の中から聞こえる。

 

 ――ツイッターは適当な人が集まる場所。インスタは上級国民みたいな世界。庶民はインスタみたいに、盛らないんだよ。

 

 いつだったか、妻・結子が言っていたことを思い出した。

 真一は、インスタもツイッターも興味が無い。ただ一つ言えるのは、自分は上級ではない、ただの一般庶民だと言うこと。

 出向前は、使える時間をいかに効率よく詰め込んで、仕事をこなすか。納期に間に合わせるか。そればかり考えていた。無なんてない。成果の品質を高めて、仕事を盛っている時間なんてなかった。

 今は、使える時間はたっぷりある。無から仕事を生み出すことも可能かもしれない。インスタ映えするような綺麗な写真を撮ったり、加工したり、発信する時間すらあるのかもしれない。

 

 時間の限界までやれるだけ仕事をやること。

 付加価値を極限まで高めること。

 

 労働の生産性から見ると、一体どっちが正しいのだろうか。

 

 コーヒーが出来上がって、ふわりと香ばしい匂いが漂う。真一はコーヒーを手に持った。

 未知の会社。未知の仕事。未知の仕事のやり方。

 真一は苦みのある黒い液体を口に含みながら、これからどうやって仕事をやっていこうか、思案しながら席に戻った。

 

【本日のキーワード】

#ツイッター映え

#インスタ映え

#盛ってる暇なんて無い

#国内総生産

 

【本日の参考資料】

  -7.1%。

 最近、この数字に愕然としました。去年10月~12月の日本のGDP成長率です。ちょうど、消費税が10%になった頃です。

 これはパーセンテージで示しているので、なんとなくわかりづらいですが、日本の国内総生産額は大体500兆円くらいです。したがって、減少分をお金で表すと、約35兆円。つまり、国民一人あたり30万円以上も生産額が下がっているのです。

 生産力が下がるということは、当然、購買力も下がっているので、消費税の影響で消費が落ち込んだことは明らかです。しかもこれ、コロナ騒動以前ですので。

 国内総生産国民総所得と年収は似ているようで全く違うものなので、単純に言い切ることはできませんが、「年収が30万円も下がっている」と考えたら、なんだか絶望してきますよね。

 

「消費が落ち込んでモノが売れない」という状況のときに、

「安くしてでもモノを売れ。時間があるだけモノを売れ」という理屈が果たして正しいのか、疑問に思います。

 

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