言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

★004.日本の働き方の違和感

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 人は、努力と忍耐と根性があれば成長できて、いかなる困難に対しても立ち向かえるようになる。

 

 紗希は大学院へ進学した時、教授にこう言い聞かされた。

「これからの日本は、結果がすべてになる。年功序列の時代は終わった。結果を出すためには、自分の限界を探る必要がある。限界を超えてからが勝負だ。若者は死ぬ気で成果を出せ」

 東京の理系大学に通っていた紗希は、就職に有利と考え、大学院に進学した。研究をして、その成果を発信することが元々好きだったことも理由の一つだ。

 しかし、就職を前に、紗希は大学院の研究に忙殺されていた。数百ケースにも及ぶ数値解析をパソコンで条件を変えて計算し、結果を出力して、比較して、ひたすら考察する日々。

 毎日、パソコンのグラフを睨みつけながら、頭の中で思考を張り巡らせる。朝から夜中まで。時計の針が日付の変更を知らせるときには、目がかすみ、耳鳴りがして、頭がぼーっとしている。その繰り返しだけだった。

 教授が望む結果を出せないことは、度々あった。

「君は、やる気があるのか?」

 丸二日、ほぼ徹夜して紗希が出した計算の結果を、教授はいとも簡単に放り捨てた。

 このご時世、いまだにこんな罵倒を浴びせる人がいるのか。

 紗希は疑問に思ったが、頭が既に空っぽで反論する気力もなかった。大学院で論文を執筆する以上、結果を出すことが全てだった。死ぬ気でやるしかないのだ。体があちこちで悲鳴を上げていたが、紗希は聞かないふりをして、計算をひたすら積み重ねる。

「おぉ! これだよ。この結果」教授は上機嫌で笑った。「小早川君、根性を見せたな。これこそ、求める結果だよ。よしよし。じゃあ次はこのケースで同じような結果を出してくれないか? 今回、この結果が出るまでに二日間かかったか。そうだな。明後日までに頼むよ」

 紗希は充血した目を見開いた。「教授。さすがに体が限界です。とても明後日までには……」

「なにぃ? 次のシンポジウム発表まで、あと2週間しかないんだぞ。本来ならば、結果がすべてそろっていないと駄目な時期だ。これだから、女子はダメなんだよ。根性だけじゃなくて、体力もない。……おっと、これはセクハラか。世の中は男女平等だったな。小早川君、今こそ君の根性の限界を超える時なのだよ。やれば、できるはずだ」

 紗希は唇を噛んだ。「わかりました。やります……」

 再びパソコンの前へ戻る。しかし、さすがに頭が回らなかった。代わりに、画面の中の数字がゆらゆらと輪を描いて回っているように見えた。ダメだ。今日は家に帰って、少し仮眠を取ろう。

 ふらついた足取りで、紗希が大学を出た時には、深夜三時を回っていた。

 タクシーを拾おうと、地下鉄駅で向かう道を歩いていると、夜空の星空とまるで一体化したように煌々と輝くビル群が見えた。

 あの建物はなに?

 紗希はスマホを取り出し、それらの位置を調べてみた。

霞が関の省庁ビルだった。

 そうか。ここが、日本の中枢。

 再び、紗希はビル群を見上げる。

 少し前、大手広告代理店の若手女性職員が過労を原因に自殺した。それをきっかけとして、世は日本の働き方を見直す動きが加速した。それなのに、いまだに学生だけじゃなくて、社会人ですら、電気を消すことなく眠らずに働き続ける人が、こんなにもたくさんいる。

 省庁の玄関から、一人の男性が出てきた。暗くてよくわからないが、ひどく疲弊しているように見えた。玄関前に泊まるタクシーに乗り込み、道路の向こうに消えていく。

 時間をかければかけただけ報われる世の中ならば、試験や〆切というものは必要ない。ならば、働いても働いても成果が出ない自分は、世の中に不要な存在なのかもしれなかった。限界を超えて新たな成果を生み出せた者だけが、この日本の社会で働くことを許される。

 そんなふうに紗希が思っていると、ビルの明かりが、突然滲み出した。目尻から溢れた涙が、頬を伝い、首筋に流れる。

 

 ……もう、限界だ。私には無理だ。

 

 止まらない涙を拭うこともせずに、紗希はその場にうずくまった。

 私の根性と忍耐と努力は、価値がつくのだろうか。

 こんなに疲弊してまで、成果を出す意味はどこにあるのだろうか。

 紗希はそのまま、シンポジウムの論文を書き上げることなく、大学院を退学した。大学院に進学して、わずか半年――23歳、2017年の秋のことだった。

 

 

【本日のキーワード】

#成果主義

#努力、忍耐、根性で成長

#霞が関は眠らない

 

 

【本日の参考資料】

www.huffingtonpost.jp

 

news.nicovideo.jp

 

www.fnn.jp

 

※太字は参考文献より引用

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・年間最低9000件近い議員説明をこなすなど、単純に仕事量だけみても多いが、職員1000人あたりで考えても国会答弁回数、所属委員会出席時間、質問主意書答弁数、審議会の開催回数や訴訟件数はすべての省庁でトップとなるほど、ダントツで人が足りていない。

・内部部局(本省勤務)の職員の定員1000人あたりの業務量は、答弁回数2212回、委員会への出席時間219時間など

労働基準法的に見てアウトでも、若手チームの職員は「国家公務員は労働法が適用されませんから」と渋い苦笑い

「課長や上にメールするのは失礼だから、業務連絡は報告書をもって対面がセオリーなんだよね」という謎の礼儀

・1年生議員からの「この法案が良く分かんない。教えて」という過去の資料でも読めばある程度把握できるくらいの内容でも、わざわざ議員会館などに大量の紙資料を手に携え、時間をかけて対面で説明しなければならない。そんな議員からの「お願い」の中には「地元の医療関係者の会合であいさつしないといけないから、会合用にトピックを考えてあいさつ文を作っておいて」「地元の○○県の医療の課題が分からないからまとめておいて」など、もはや使い走りのような依頼も後を絶たない。

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