言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

☆003.育児休業の違和感

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 長女の陽乃(はるの)が産声を上げたのは、雪の降りしきる12月のとある日だった。

 深夜0時くらいに陣痛が始まったが、初産だったので、結子は6時間もの間、その痛みと戦っていた。テニスボールを結子の背中のどこに当てていいのか、水はいつ結子の口に含ませればいいのか、真一も初めての戦いに右往左往していた。

 陽乃が生まれた瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。同時に、真一という父親と結子という母が生まれた瞬間でもあった。

 生まれたての赤ちゃんを抱えていると、涙が出そうになった。

 生まれてきてくれて、ありがとう。

 真一はその日、結子と赤ちゃんに、生きてきた中で最大の感謝をした。

 

 パソコンの中の写真を整理していたら、長女が生まれた時の写真まで遡ってしまった。赤ちゃんの頃の陽乃の写真を見た瞬間、真一の頭の中の記憶がよみがえったのだった。

「あー、懐かしい」いつの間にか結子がパソコンを覗き込んでいた。「この頃の陽乃は、天使だったよねぇ」

「今も天使だろう」

「真ちゃんは結局、陽乃が生まれた時も、太陽が生まれた時も、育休取ってくれなかったよね。まぁ、陽乃は年末、太陽はお盆前に生まれたから、そのあと連休になってたから、助かったと言えば助かったけどね」

「育休なんて、取れるわけないじゃん……」

 真一は長女が生まれたときはもちろん、長男が生まれたときにも、育児休業を取らなかった。理由は、人がいなくて、休めるどころの話じゃなかったからだ。

「そう? 最近、増えてるじゃん。お父さんが育休」結子はそう言いながら、時計を見た。「さて。そろそろ行くかな。バイト」

「うん。今日も頑張って」

 結子がアルバイトを始めた理由は、働き方改革の影響で残業が減り、年収が下がったからだった。今までそんな贅沢をしていたというわけではないが、陽乃と太陽の習い事に加え、消費税も10%に上がり、生活がやや苦しくなった。

「早く帰って来れるんだから、いいじゃん。今まで残業多かったんだし」

 結子は楽観的だった。

「そうだけどさ……」

 真一は肩を落とす。残業代ありきの生活って、やっぱりおかしいよな。こんなんじゃ、子供を育てることがしんどくなって、当たり前だ。

 本当に、父親が育児休業を取ることで、少子高齢化が解決するのだろうか。もっと根本的な問題がある気がしてならない。

 

 ……私たち派遣職員は、使い捨てカイロみたいな存在なんですかね。

 

 先日、小早川紗希が言っていた言葉を、真一は思い出した。

 俺も悪酔いしてたな。休みが明けたら、謝るか……。

 ここ数年、非正規職員が徐々に増えていることは、何度もニュースで取り上げられているので、真一も知っていた。

 小早川さんもみんな、必死に仕事にしがみついて、生活費を稼いでいる。だけど、人を育てる時間。子供を育てる時間。そのいずれもない。でも、生活するために残業をしなくてはならない。アルバイトをしなければならない。共働きをしなければならない。こうしてまた、時間はどんどん埋もれていく。

 やっぱり、こんな社会、おかしいよな……。

「おとーさーん。今日は日記書かなくていいの?」

 陽乃がノートと鉛筆を持ってきて、真一の横の椅子に座った。

「日記はできれば毎日、書いた方がいいぞ。でも、まずはお父さんがいる土曜日と日曜日だけでいいよ」

「うん。今日は何、書こうかなー」

 家で子供を育てることも、会社で部下を育てることも、未来への投資だ。真一は思った。それは正社員であろうと、派遣社員であろうと、変わらないはずなんだ。なぜ、人を育てることが軽視されるんだろうか。どこで歯車が変わってしまったんだろうか。

「陽乃。今日は将来、自分が何になりたいか、それを書けばいいんじゃないか?」

「陽乃は、大人になったらプリンセスになる!」

 娘は無邪気な表情で、元気よく答えた。

 

 

【本日のキーワード】

#なぜ育児休業を取らないのか

#可処分所得の減少

#共働き世代の急増

 

 

【本日の参考資料】

 

 

 上の資料を見ると、

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◆2018年は、設定した5つのモデル世帯すべてで実質可処分所得が増加し、2014年以後の増加トレンドが継続している。現役世帯全体を概観すると、平均値としては2018年時点で2011年と同水準以上の実質可処分所得を確保しているものと考えられる。

◆もっとも、30代以上の世帯における実質可処分所得の平均値の増加は、専業主婦だった妻がパートや正社員として働くなど「女性の働き方」が変わった少数の世帯による大幅な実質可処分所得の増加によりもたらされており、「女性の働き方」が変わらない多数の世帯における実質可処分所得は若干減少している。

◆このため、マクロで見た(加重平均値の)実質可処分所得は増加しているものの、多くの世帯では暮らし向きが改善した実感を持てないという状況になっている。

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 とある。※太字は引用、抜粋。

 

 ここで、下の資料を見ると、共働き世代がここ数年、急増している。

 夫片方だけでの稼ぎでは生活が満足にできないということが示唆されており、ミクロ的に見ると、国民一人一人の可処分所得は確実に減っていると考えられる。ということは、男性が育児休業を取らないことは「職場の環境」だけではなく、「経済的理由」も大いにあるのでは? と推定される。