言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

猫は朝霧に燃ゆ【2.海に浮かぶトマト④】

2.海に浮かぶトマト④ 「すみません。実は、食事をしに来たわけではないのです」 横山茂(よこやましげる)と名乗った男性が、ハルに案内されてカウンター席へやってくる。後ろを追いかける幼い少女は琴海(ことみ)。今年七歳になると言っていた。琴海はカフェ…

猫は朝霧に燃ゆ【2.海に浮かぶトマト③】

2.海に浮かぶトマト③ ナツは自転車を押しながら、カフェへ向かう坂道を登っていた。後ろにフェリー乗り場で出会った冬田玲子(ふゆたれいこ)を連れている。玲子が持つキャリーケースのキャスターが、でこぼこしたアスファルトの上で大きな音を立てて回って…

猫は朝霧に燃ゆ【2.海に浮かぶトマト②】

2.海に浮かぶトマト② 猫の鳴き声がした。 自転車を押しながら坂道に続く路地裏を歩いていると、昨日、見かけた猫たちがいた。今日は位置が逆だ。 黒猫がドラム缶の上でナツをじっと見つめる。ナツが足を進めると、エメラルド色の瞳も追ってくる。白猫はド…

猫は朝霧に燃ゆ【2.海に浮かぶトマト①】

2.海に浮かぶトマト① 離島の朝は早い。 そういうイメージがなんとなくナツにはあったが、どうやら本当のようだ。 ナツは汽笛の音で目を覚ました。 すぐ目の前に木目が見える。手を伸ばせば届く距離だ。まだ思考が定まらない頭で、ナツは枕元のスマホを手に…

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫⑤】

1.少女と猫⑤ 「小学校の卒アルと、雰囲気が全然違う」 小学校の頃よりも断然、可愛くなっている。という言葉を、ナツは喉の奥へ飲み込んだ。 自転車を押して歩くナツの右側に、ハルが歩く。太陽が傾く坂道のアスファルトを、二人は足を踏みしめながら登っ…

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫④】

1.少女と猫④ 湿気を含んだ風が首を撫でつけて、汗ばんだ背中へ流れていく。シャツの袖が旗のようになびいている。 ナツはスマホで検索した島の地図を見つめていた。顔を上げると、島の輪郭がぼんやりと、霧色の空を映した海の上に浮かんでいるのが見えた。…

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫③】

1.少女と猫③ 「夏雄、入るぞ」父が仕事から帰ってきて、部屋にやって来た。いつもノックと同時に扉を開けるから、ノックの意味がまるでない。 「なに?」 いつものようにベッドに横たわり、スマホを触りながらナツは返事をした。アキと学校祭の動画につい…

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫②】

1.少女と猫② 「……ツ。おい、聞いてんのか? ナツ」 右手のスマホ画面を睨んでいると、アキに肩を小突かれた。 「え?」 ナツは顔を上げた。深緑に覆われた木々の隙間から、太陽の日差しが直接、目に突き刺さる。ナツは思わず手をかざした。 途端に、学校の…

猫は朝霧に燃ゆ

猫は朝霧に燃ゆ 仙田夏雄(せんだなつお)は高校三年生の夏にして、ようやくスマートホンを手に入れた。LINEやYouTubeをインストールする中、ふと自分の将来のことを考える。 「これから先のことを深く考えるほど、自分は長く生きていない。かと言って、楽観視…

猫は朝霧に燃ゆ【1.少女と猫①】

1.少女と猫① 将来について楽観的な答えを見つけると、人は満足してしまう。 仙田夏雄(せんだなつお)、とスマホに自分の名前を入力したところで、なんとなくナツは思った。 これから先のことを深く考えるほど、自分は長く生きていない。かと言って、楽観視…

ナナカマドのイタズラ・解説編

ここからはネタバレです。 先に本編を読んでから、お読みください。

ナナカマドのイタズラ

全8,000文字程度の、短編小説です。 つまらない毎日に、ちょっとした刺激を与えるような、そんなお話です。

海猫は東雲色(しののめいろ)に舞う

全12,000文字程度の短編小説です。 会社に不満を持ちつつも、どうしようか悩み、それでも前に進むしかない若者へ捧げる物語です。 お時間があるときに、是非。

☆010.庶民は盛ってる暇なんて無い!

「高梨さんには、この仕事を担当してもらいますから」 出向先の上司である中西部長が書類をテーブルの上に置きながら、高梨真一に説明する。 真一はこの4月から、これまで勤めていた中堅ハウスメーカーを離れた。都市計画に関する仕事を行う財団法人へ出向…

指先に、雪だるま

この雪がとける頃、私は大学生になる。 人間は誰しも、ぬるま湯の中に片足を突っ込んで生きている。私も同じだ。 でも、このぬるま湯の温度を上げる術を、探しているのだ。 体温を下げないよう、気を遣いながら。

★010.御社の強みは納期を守ることでしょ?

脇の下でピピと電子音が鳴る。 体温計を取り出す。36.6度。平熱だ。 1日でなんとか熱が下がったことに安堵した小早川(こばやかわ)紗希(さき)は、テレビのニュースを見ながら、朝食のパンを頬張った。マーマレードジャムの酸味が口いっぱいに広がる。 ニ…

☆009.「夢を託す」ではなく、「夢を選ぶ機会を与える」こと

「うわ。すご」 高梨真一はパソコンの画面を見ながら、感嘆の声を上げた。 某ゲーム会社の採用サイトだった。ゲームを作ることだけではなく、それに関わる仕事の数々が、社員の目線から事細かに紹介されていた。 ゲーム機の基板設計はもちろん、ゲーム内に出…

★009.風邪をひいても社内会議には出ろ

頭が痛い。二日酔いか。 目が覚めた瞬間、小早川紗希(こばやかわ・さき)は思った。枕に顔を埋めたまま、なかなか起き上がらずにいると、身体が布団の中でぶるりと震えた。 違う。これは……。 紗希は毛布に包まったまま、机の引き出しから体温計を取り出し、…

☆008.「社会は厳しいものである」とは、誰が決めたのか。

4月に入ると、すっかり日が長くなった。 高梨真一は会社の帰り道、スーパーへ行くと、つい時間が経つのも忘れて書籍コーナーを彷徨っていた。気づけば、19時を回っていた。慌てて、妻の結子に頼まれた牛乳とパンをカゴに入れていると、 「あ、太陽君のパ…

★008.正社員の立つ場所は。

ここは牢獄か。 紗希がようやく口をつけたグラスのビールは、少しぬるくなっていた。泡と苦みが、ついつい毒を転がしてしまった舌の上にいつまでも残り、紗希は顔をしかめた。 紗希が連れて来られたのは、賑やかな洋風居酒屋だった。 同期会には、主催者であ…

☆007.氷河期世代とか、少母化とか、独身税とか

「なぁ、お前、結婚しねーの?」 金曜日、やや混雑した帰りの電車の中。吊革に掴まって今日のニュースをスマホで読んでいると、高梨真一の耳にそんな声が届いた。視線だけちらりと横に向けると、30代後半だろうか、真一のすぐ傍の座席に2人のサラリーマン…

★007.同一労働同一賃金

会社の一員になることで、この世の中はようやく、一人の人間を社会人として認める。 雪がすっかりとけ、袖を通すコートが薄くなり始めた頃、令和2年4月になった。小早川紗希の、派遣職員として、二年目の春がやってきた。 この春から、ついに同一労働同一…

☆006.Work Life Things~仕事と生活の彼是(あれこれ)~

「太陽は今日、図書館で絵本を借りるー」 課長に嫌味を言われながらも午前中の休日出勤を終えた真一は、家の玄関に足を踏み入れた瞬間、息子の太陽にせがまれた。太陽は図書館で絵本を借りることが大好きだ。自分で読みたい絵本を選び、まだ拙い口調だけど、…

★006.失われた30年

午前10時。洗濯機を回していると、突然、玄関のインターホンが鳴り響いた。 「お母さん。どうしたの?」紗希が玄関の扉を開けると、母がパンパンになった手提げ袋を抱えていた。 「野菜。持ってきてあげたよ」 「重かったでしょう」 紗希は母から手提げ袋…

☆005.休日出勤の違和感

カードリーダーを通し、会社のビルに入ると守衛がお疲れ様ですと微笑みかけてくる。 「休日出勤かい? ご苦労様だねぇ」 高梨真一は無言のまま、苦笑した。今日は祝日の月曜日。三連休の最終日だった。 エレベーターに乗り、真一は職場である5階へ向かう。…

★005.ドロップアウトの先

真面目に、愚直に生きることは、とても辛い。 東京の大学院を辞め、地元の北海道に戻った紗希は、実家で療養していた。軽いうつ病と診断されたので、気持ちを落ち着けるまで1年ほどかかった。 ようやく札幌で就職先を探せるようになった頃には、実家に戻っ…

☆004.人手不足の空白

雪が幾重にも積み重なった公園の雪山で、陽乃(はるの)と太陽はそり遊びをしている。六歳と三歳になると、二人は子供たちだけの世界の中で遊んでくれる。 真一は手持ち無沙汰になるが、体を動かしていないので、一人、寒さと格闘しなければならない。氷点下の…

★004.日本の働き方の違和感

人は、努力と忍耐と根性があれば成長できて、いかなる困難に対しても立ち向かえるようになる。 紗希は大学院へ進学した時、教授にこう言い聞かされた。 「これからの日本は、結果がすべてになる。年功序列の時代は終わった。結果を出すためには、自分の限界…

☆003.育児休業の違和感

長女の陽乃(はるの)が産声を上げたのは、雪の降りしきる12月のとある日だった。 深夜0時くらいに陣痛が始まったが、初産だったので、結子は6時間もの間、その痛みと戦っていた。テニスボールを結子の背中のどこに当てていいのか、水はいつ結子の口に含ま…

★003.労働の空白

少し熱いくらいの湯に浸かり、ルームウェアに着替えると、心がほっとして、落ち着いた。 紗希は部屋のソファに座り、濡れた髪の毛をバスタオルで丁寧に拭いていた。 ……さっきは、高梨さんにきつく言い過ぎたかな。突然、帰っちゃったし。休み明けにちゃんと…