言葉の煙霞

言葉は、無限の可能性を秘めている。

★011.新型コロナ終息後の夜明け空に思う彼是

布マスクをしながら地下鉄に乗り込むと、座るところがなかった。小早川(こばやかわ)紗希(さき)は、ため息をマスクの中に吐き出し、人々の視線に背を向けた。電車の扉の前に立ちながら、少し伸びた前髪を指先で引っ張り、かき分ける。そろそろ髪を染めたいと…

月を見たい彼女は、ウサギのお面を被る。

ちょっとした短編小説です。8,000文字くらいです。 現実に疲れたあなたへ、ちょっぴり非現実で、オレンジジュースを飲み干したくなるような、そんなお話。 通勤、通学、お昼休みに是非。 あなたの世界が、素敵でありますように。 こんなにも、世界は美…

猫は朝霧に燃ゆ【あとがき】

あとがき あとがき 重大なネタバレを書いていますので、絶対に最後にお読み下さい。 あとがきですからね。最初に読む人はあまりいないかもしれませんが。 ***********************************************…

猫は朝霧に燃ゆ【エピローグ、そしてプロローグへ】

エピローグ、そしてプロローグへ 一ノ瀬心晴(いちのせこはる)が、部屋の前に置かれた小さな箱と、扉の隙間に挟まった小さな紙切れを見つけたのは、既に太陽が顔を出した時間だった。 和三盆(わさんぼん)と、手紙だった。 『春になったら、一緒に食べよう』 …

猫は朝霧に燃ゆ【5.円環は朱に染まりし凪の花⑤】

5.円環は朱に染まりし凪の花⑤ 玄関の前で、ナツは独り、島猫亭を見上げた。 霧が流れる音が聞こえそうな静寂の中、その真っ白な建物は、いつものようにひっそりと曲島を見下ろしていた。すぐそばでコルジリネの葉が、霧の流れに身を任せ、カサカサと揺れて…

猫は朝霧に燃ゆ【5.円環は朱に染まりし凪の花④】

5.円環は朱に染まりし凪の花④ 厳島神社は、広島湾の宮島にある世界遺産だ。広島駅から電車に三十分ほど揺られ宮島口駅まで行くと、そこから宮島行きのフェリーが出ている。 昼食を食べていなかった。ナツもハルも食欲はあまりなかったが、宮島口駅の周りで…

猫は朝霧に燃ゆ【5.円環は朱に染まりし凪の花③】

5.円環は朱に染まりし凪の花③ 今日の最高気温は、二週間ぶりに三十度以下になるらしい。 確かに、部屋の窓を開けてみると、少しひんやりとした。北海道の感覚で考えると、十分に暑い空気であるが、本州へやって来て二週間、ようやく身体が暑さに慣れ始めた…

猫は朝霧に燃ゆ【5.円環は朱に染まりし凪の花②】

5.円環は朱に染まりし凪の花② ナツの頬に何かがチクリと当たった。意識がまどろむ中、何が当たったんだろうと頭の中でぼんやりと考えるが、思考が定まらない。遠くの方から、何やらギターの音が聴こえてくる。押し寄せる波のような拍手の音。 頭の芯が、渦…

猫は朝霧に燃ゆ【5.円環は朱に染まりし凪の花①】

5.円環は朱に染まりし凪の花① 久々の雑踏に飲み込まれた。 広島駅のバスターミナルは、荷物を抱えた観光客で溢れかえっていた。ちらほらと、ビジネスバッグを持ったサラリーマン風の人間もいたが、夏休みとあって、家族連れの旅行者の方が多かった。 電車…

猫は朝霧に燃ゆ【4.芸術は変わらない-So the spring comes-⑥】

4.芸術は変わらない-So the spring comes-⑥ 「あら。奇遇ね。このフェリーに乗るの?」 渚の駅・曲島の喫煙スペースに、玲子が立っていた。初めて会った時と同じような服装で、横に花柄のキャリーケースが置かれていた。玲子の指には煙の出ない電子タバコ…

猫は朝霧に燃ゆ【4.芸術は変わらない-So the spring comes-⑤】

4.芸術は変わらない-So the spring comes-⑤ ナツは自分の部屋に戻っていた。灯りをつけず、ベッドに横たわっていると、扉がノックされた。 「夏雄(なつお)くん。ちょっと、いいかい?」 ハルの父――真司の声だった。 島猫亭の店内は、いつも通り、コーヒー…

時雨

秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨。

猫は朝霧に燃ゆ【4.芸術は変わらない-So the spring comes-④】

4.芸術は変わらない-So the spring comes-④ 「……ナツ、すごいね」 「え?」 島猫亭へ戻る帰り道、自転車を押すナツに、ハルが声をかけた。 「さっきの玲子さんへの交渉。わたし、鳥肌が止まらなかった」 「ハルだって……」 イノベーションに残されたあのコ…

猫は朝霧に燃ゆ【4.芸術は変わらない-So the spring comes-③】

4.芸術は変わらない-So the spring comes-③ 「お願いがあります」 「……私、暇じゃないんだけど。突然、電話があったと思えば、何の用?」 玲子はホテルのロビーにあるテーブルで、パソコンのキーボードを叩いて待っていた。その表情は真剣だった。明日には…

猫は朝霧に燃ゆ【4.芸術は変わらない-So the spring comes-②】

4.芸術は変わらない-So the spring comes-② 高校へ入学した時の想い出がよみがえる。まるで、自分の頭の中にユーチューブアプリがインストールされたように。 すべてを、憶えている。 藤堂秋(とうどうあき)との出会いは、薄暗い部屋だった。 『映画研究部…

猫は朝霧に燃ゆ【4.芸術は変わらない-So the spring comes-①】

4.芸術は変わらない-So the spring comes- 記憶がリピートされる時がある。 それは夢なのか、現実なのか、わからない。でも、自分が確かに経験した記憶だ。ナツが生まれるよりもはるか昔に上映されたモノクロ映画が、途中で二倍速、五倍速、十倍速になった…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-⑩】

3.芸術は変わらない-The spring is far-⑩ 「いい取材ができたわ。あなたのおかげよ」 曲島カフェから出て、帰りのバスを待っていると、玲子が素直にお礼を言った。 「お役に立てて、良かったです。おれも勉強になりました。ありがとうございます」 ナツも…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-⑨】

3.芸術は変わらない-The spring is far-⑨ 「どうぞ」 ナツはコンビニでミネラルウォーターを買うと、ベンチに座る玲子に手渡した。 「ありがと」 玲子は喉を揺らして、水をゆっくりと飲んだ。キャップを閉め、ふぅと小さく息を吐く。 「あれだけは、昔から…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-⑧】

3.芸術は変わらない-The spring is far-⑧ 「まず、あなたに見せたいものがあるの」 島猫亭の最寄りのバス停から、ナツは玲子と一緒にバスに乗り込んだ。 「センシティブ・ミュージアム?」 玲子が頷いた。「あなた、まだ行ってないでしょう?」 センシティ…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-⑦】

3.芸術は変わらない-The spring is far-⑦ 世間の男子高校生がなりたい職業は、最近、ユーチューバーの割合が増えているらしい。起業家や会社経営者も上位にランキングしていると、どこかのサイトで見たことがあった。 誰の命令を受けるわけでもなく、自分…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-⑥】

3.芸術は変わらない-The spring is far-⑥ ボランティアが終わったあとの帰り道、ハルの父――真司(しんじ)が迎えに来てくれた軽ワゴン車の中で、ハルは声を出すことはなかった。後ろの座席で窓から流れる島の景色を黙って眺めながら、その小さな頭を傾けてい…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-⑤】

3.芸術は変わらない-The spring is far-⑤ 「うん。大丈夫。助けてくれて、ありがとう。うん。じゃあ、ここでナツと待ってるね」 ハルが背中を向けて、ハルの母――円華(まどか)と電話している。その声と背中は小さく、沈みかけた夕陽と一緒にとけてなくなっ…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-④】

3.芸術は変わらない-The spring is far-④ 「スマホの情報に踊らされていないで、少しは自分の頭で考えられないの?」 動画と同じ声が、イヤホン越しに耳を刺激する。人が近づいてくるのが気づかなかった。動画で歌っている当の本人が目の前にいて、ナツは…

【お題:あなたの人生を変えた小説はなんですか?】

【目的:執筆している作者様または読者様と価値観を共有したい!】 こんにちは。真辺陽太と申します。男性です。しがない会社員をやってます。年齢は秘密です。 ここでは物語の中では語れない、なんやかんやを語りたいと思います。 私が物語を描きたいと思っ…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-③】

3.芸術は変わらない-The spring is far-③ ナツがハルの元へ近づくと、ツアー客の一人が玄関の前で図太い声を上げていた。四十歳過ぎくらいの男性で、半袖のワイシャツにスラックス。その胸元はだらしなくはだけられ、お腹がぽっこり出ていた。手には扇子が…

翡翠色(ひすいいろ)のビー玉

あなたは世の中の理不尽を許せますか? 七、八年前に書いたであろう短編です。改めて読み返してみましたが、これ、そのままアップできるんじゃない? と思って、特に推敲せずアップしてみました。つながりが変なところは、ご容赦。 これを読んで、やっぱり自…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-②】

3.芸術は変わらない-The spring is far-② 島猫亭(しまねこてい)は隔週月曜日が定休日らしい。 ナツが曲島(くましま)へやってきてちょうど一週間が経った。カフェが定休日と言っても、働く人が完全な休みなわけではなかった。ハルの父――真司(しんじ)はパソ…

猫は朝霧に燃ゆ【3.芸術は変わらない-The spring is far-①】

3.芸術は変わらない-The spring is far-① 『ハルちゃんの写真、まだ?』 アキから電話がかかってきたのは、ナツがバイトを始めて四日目の夕方だった。 この日、島猫亭(しまねこてい)は夕方の予約がいっぱいだった。そのため、ナツは店内を右往左往していた…

猫は朝霧に燃ゆ【2.海に浮かぶトマト⑧】

2.海に浮かぶトマト⑧ 「それでは、ナツの初日お疲れさまと、これからもよろしくと言うことを祈念(きねん)しまして、乾杯!」 「乾杯」 カウンターに座るハルの掛け声に、同じく隣の席に座るナツは瀬戸内レモンの炭酸ジュースが入ったグラスを掲げた。 「っ…

猫は朝霧に燃ゆ【2.海に浮かぶトマト⑦】

2.海に浮かぶトマト⑦ 白砂青松(はくしゃせいしょう)という言葉を、古典か何かの授業で聞いたことがあった。 曲島の真西に位置する海岸は、まさにそれだった。 ナツは防波堤のそばに自転車を止めると、思わず見とれた。少しだけ黄色がかった美しい砂浜を隠…